地球温暖化対策のひとつ「CO2の地下貯留」について

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正月のテレビでは新しい年を迎え、地球規模で発生している問題を取り上げ考えさせる番組がいくつかありました。

 

その中の一つに各国の企業や家庭などが排出するCO2が増加し、さらに開発途上国の密林の樹木伐採が加わり地球の気象や生態系を変えつつある砂漠化問題や地球温暖化問題があります。

 

これらの地球環境は既に深刻な状態に来ていることが映像を通して伝わってきました。

 

1997年12月京都議定書により、二酸化炭素(CO2)などの削減目標が課せられ、2008年から2013年まで目標値達成しなければなりませんが、目標達成のため排出枠に余裕のある国から排出権を購入しても良いということになっています。しかし、これは当面の応急処置です。

 

温室効果ガスCO2の排出権取引 2007/4/30

yaseta.hateblo.jp

数年前から温暖化対策の切り札として「CO2の地下貯留」が有効ということで各国間で技術開発競争が繰り広げられているようです。

 

CO2の地下注入については資料をみると1973年のオイルショックアメリカのテキサス州などは石油が出にくくなった井戸にCO2を注入すると出が良くなることを発見し、CO2が噴き出す井戸を見つけ、そこから採ったCO2を注入して石油生産のために使われていたそうです。

 

【CO2地下貯留の概要について】
大規模に発生する企業などの排ガスからCO2を分離・回収し、液化CO2(液化炭酸ガス)にします。そして、地下の不透水層(水やガスを透さない)が存在する帯水層に7.4MPa(73気圧)以上で圧入し、貯留することで、大気中へのCO2排出を削減する技術です。地下では温度が上がりCO2は液体でも気体でもない超臨界という状態になります。

 

石油や天然ガスもこのような地下構造に長期間埋蔵されているのです。

 

ノルウエーの国営石油は北海の海底油田から天然ガスを採掘しているが天然ガスに含まれるCO2はパイプラインを腐食するため分離してCO2は地下に貯留しており、1996年から開始し、既に600~700トンになるそうです。

 

アメリカは2003年にはCO2地下貯留は地球温暖化対策の本命であると発表し、インド、中国など24カ国に呼び掛け独自の温暖化対策技術で世界の主導権を取ろうとしているそうです。

 

日本の地球環境産業技術研究機構(RITE)のCO2地下貯留プロジェクトでは2003年から2005年まで新潟県長岡市帝国石油天然ガス田で1日40トンの圧入試験を行い成功しました。

 

CO2の地下貯留技術は実用化一歩手前まできておりますが費用を試算するとCO2を分離・回収・液化し、井戸を掘り、圧入するまでの費用が1トン当たり5000円~6000円だそうです。

 

現状では高すぎるため、処理コストをさげることが実用化の最大の課題です。各国はCO2地下貯留技術の主導権をつかもうと技術競争を繰り広げています。

 

【高度成長時代の日本の公害問題について】
日本は高度成長期時代の急激な工業化とモータリゼーションで河川や大気が汚染され、水俣病ぜんそくなど人体へ影響に及ぼす公害が社会的問題を引き起こし、多くの企業にとっても公害問題は企業の存続に影響を与える重要課題になりました。

 

1971年(昭和46年)に環境庁が発足しました。そしてその年に第1回の公害防止管理者の国家試験がありました。私は当時、石油企業の工場の現場で働いており、私も対象者ということで工場から70~80人の人と2台のバスに乗り、広島大学の試験場に受験に行きました。確か7月の初旬の暑い日だったと思います。

 

幸い、水質の水質関係第一種公害防止管理者に合格しましたが、翌年、受けた大気の試験は不合格になりました。私とってこの資格が役たったということはないですが、試験勉強の過程で得た知識や環境に対する意識などは少なからず役立っていると思っています。

 

34年前は日本という小さな国の急激な経済成長のひずみは日本に公害という形で発生しました。国内の環境破壊から守るための公害防止技術確立だけでも10年~30年かかっています。

 

【そして現在】
日本の10倍の国土や人口を持つ中国やインドは今、経済成長の真っただ中ですがそのひずみが現れはじめています。

 

その経済成長のスピードと規模は日本の場合と比べると各段に大きいのでそれら途上国と先進諸国の大気や水質汚濁物質の廃棄による影響は地球規模なダメージを引き起こしつつあると再認識しました。もう少し、経済成長率を落とし、スローペースで成長して欲しいと願うばかりです。
 

 

【参考】
(1)財団法人「地球環境産業技術研究機構(RITE)」、ホームページ
(2)ダカーポ、マガジンハウス、2006年1月