出光佐三のことば「人間の幸福は老後にある」

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私が1969年(昭和44年)、I社に入社したのは兄の一言でした。

 

あの会社の創業者は「人間尊重、真に働く姿で国家社会に示唆を与える」などを理念に掲げたユニークな会社であるから入れるものなら是非入った方が良いという言葉でした。

 

偶然、指導教授のY先生と旅順工大・満鉄で一緒だった同級生のKさんがI社の専務としておられるということでお願いして推薦していただき、試験を受けさせてもらいました。今でも、試験結果よりY先生の推薦のおかげで入れたと思っています。

 

満州について 2006/4/13

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そんなわけで良く知らないまま、入った会社なのでは入社当初は会社の理念を教え込まれましたがピンときませんでしたし、その後も右から来たものを左へ受け流し、ときには矛盾を感じながらやってきました。

 

I社の理念は出光佐三が1911年(明治44年)26歳の時に出光商会を創業してから仕事を通して実感したことや体験したことから生まれたことばです。(創業当時の原点を忘れないため自分を店主と呼ばせていました。)

 

会社時代、理念はあくまで理想であり、現実はそういうふうにいくものではないと思っていました。しかし、会社は社員がこの理念から逸脱しないように常に社員に呼び掛け、現在も続けており、90年間以上この考えを貫いてきています。私は退職した今になってようやくその意味が少し理解できるようになりました。

 

また、会社の研修や自問自答会で聞いた店主の78歳の時のことば「人間の幸福は老後にある」という内容も理解できるようになりました。

 

【「人間の幸福は老後にある」 出光佐三著 「我が60年間」655~656頁】

 

【私は人間の幸福というものはどういうところにあるかと聞かれるときがある。そのときに、幸福というものは老後にありますというんだ。

 

ということは、私からいっても過去7、80年をかえりみるとき、7,80年は一瞬だよ。おや、70過ぎたかというだけでね。

 

ところで70年間いいことをしてきたな、うれしいなというこの喜びは、一秒一分、一時間一日と長いんだよ。これが人間の幸福だ。

 

ところが、贅沢なことをして勝手なことをやり、一面において人をいじめたり悪いことをしていると、そんなことしなきゃよかったなと、普通のひとなら思うがね。悪魔は思わんけれども、そうすると、それから先の一秒一分、一時間一日というものは長いね、これは苦しみだろう。不幸だろう。

 

人生というものは長い間いいことを積み重ねて、そして過去をかえりみ、過去を楽しみつつ老後を楽しく送る、それが幸福だね。要するに、心の安定をもって人生を送るということであって、贅沢やら、なにやら、したなどということは、人生じゃないんだよ。

 

一生働いて働き抜いて人のためにつくす、これが人生なんだよ。自分のためばかりやってきたことは、あとでかえりみて人間性として愉快じゃないんだな。それを愉快に感ずる人は人間の形をした獣だよ。

 

そういうものもいるがね。しかし、それは例外であって普通の人間なら、ひとのためにつくしたことを喜ぶ、これが「人の世界」だ。

 

「物の世界」にはそんなことはない。エゴイズムの世界は人をいじめることは平気なことで、不愉快とは思わない。そこが「人の世界」と「物の世界」の違いで、「人の世界」は老後にあるということだ。------------------。】

 

「一生働いて人のためにつくす。自分のためばかりやるのではない。」という出光佐三が実践したことを私はできそうもありませんが、新しい年を迎え、これから少しでも近づけるように心がけたいと思います。