85年前の大正時代にアメリカの大富豪スポルデング兄弟が浮世絵に魅了され、収集し、その数は6,500枚にものぼるそうです。
江戸時代当時の色彩を持った浮世絵は非常に貴重なものということで、昨年、研究チームが調査を始め、多くの発見がなされ、今回の放映になったということでした。
特に注目を集めたのが喜多川歌麿の浮世絵版画400枚の女性の着物にあざやかな紫が沢山使われていたことが初めて分かったということでした。
そして、これまで着物の色が退色して謎とされてましたが、今回、最新技術で分析した結果、紫の色は「紅」と「露草」から作った顔料ということが判明しました。
当時、江戸で評判の町娘を浮世絵版画で売り出したところ、爆発的な人気を呼び、飛ぶように売れたそうです。町娘はたちまち、アイドルになり、難波屋「おきた」と富本「豊ひな」と高島「おひさ」の3人を描いた「当時三美人」という浮世絵版画はベストセラーになったそうです。
身分の低い町人が人気になるのは幕府の権威をおとしめ、武士を軽く見るようになるということで、寛政五年(1793年)「町娘の名前」禁止令を出しました。
そこで、歌麿は当時、江戸で流行していた無関係な絵や文字の組み合わせで解くなぞなぞ遊び「判じ絵」をつかって、浮世絵版画を出版し、これもまた、人気を得て売れ行きをのばしました。寛政8年(1796年)、幕府は「判じ絵」禁止令をだしました。
反骨精神を持つ歌麿はそれにもめげず、浮世絵版画を製作し続けます。