講演「三国志の英雄たち」を聴いて

イメージ 1

[三国志] ブログ村キーワード

 

定年退職を機に始めた日記に「中国古典一日一言」、守屋洋著、PHP文庫の365文のうちの該当日の名言を書き込んで、何件か残しましたがようやく終わりました。

 

これまで、近づき難かった中国古典が少し興味が沸いてきたタイミングよく、11月12日に守屋洋氏の「三国志の英雄たち」という講演会が野田市の興風会館で開かれ、出席しました。

 

講師の守屋洋氏は1932年宮城県気仙沼市生まれ。東京都立大学大学院中国文学修士課程終了。中国古典に現代人の生き方を求め、その知恵を伝授する中国文学者として著述、講演等で活躍する第一人者として知られ、著書として論語人間学孫子の兵法、三国志、中国古典の人間学等多数ありますと紹介がありました。

 

講演【三国志の英雄たち】の概要

 

現代は先が読み難く、10年先は誰もわからない。こういう時代こそ歴史から学ばなければならない。

 

中国の歴史で一番面白いのが三国志である。記録にある中国3000年の歴史の中で50~60年というわずかな時代ではあるが3国のリーダーがどのようにして生き残りをはかったのかを知ることにより、それが現代の我々の生き方に通ずる。

 

3人のリーダーは魏の曹操、蜀の劉備、呉の孫権である。

 

曹操は小説では悪玉として扱われているが日本で言えば小田信長と徳川家康を合わせ持ち戦が強い人物であった。

 

強さの秘密は孫子の兵法を良く勉強しており、重要なところに注釈をつけており後に利用されている。30回戦ったが5回~6回しか負けてないなく、敗因を分析し、同じ負け方をしていない。また、撤退の仕方も心得ていた。

 

曹操劉備二人とも資本ゼロの裸一貫から始め、曹操は3000人、劉備は200人の兵を集め、創業した。

 

劉備は24歳で兵を挙げたが50歳になっても目が出ず自分のふがいなさを嘆いていた。しかし、曹操劉備を一番恐れ、警戒していた。

 

劉備の一番の強みは徳を持っていたことである。徳を慕って優秀な人材が集まってきました。日本で言えば、西郷隆盛のような人であった。

 

劉備の徳
1. 謙 - 部下(人)を見下さない、偉ぶらない、傲慢でないという謙虚さ
2. 寛 - 部下(人)には寛容、自分には厳しく
3. 仁 - 思いやり

 

部下ががんばり劉備を支え、乱世を生き延びて行った。

 

曹操劉備に割ってはいるのが孫権である。曹操劉備はゼロからのスタートした創業の主であるが、孫権は父、兄から譲り受け、守っていくと言う地味な立場にいた。最終的に都を南京に移したが、呉の国は特に揚子江の南、江南地方は気候が良く、水が多く、緑も多く肥沃な土地に恵まれていた。

 

孫権は一番良い領土を治めているので守り、2人に対抗し首尾よく生き残り、最後まで残ったのが呉である。孫権の優れているところは部下の育て方がうまい事である。貴基所長、忘基所短 その長ずるところを貴(たっと)び、その短ずるところ忘ると語っている。そして、育てた部下を信頼して使ったのである。孫権は誰が信頼できるか見極める能力にも長けていた。

 

三国志は前半は生き残りの競争であるが、後半の主役は諸葛孔明である。孔明が27歳のときに既に有名になっていた47歳の劉備が3回も合いに行き、礼を尽くしむかい入れた。ここから「三顧の礼」が生まれた。

 

孔明は感激し、劉備に生涯仕えることになる。劉備も全てを孔明に任せた。劉備がなくなり、長男劉禅(りゅうぜん)が王位に就いたときも、劉禅は、孔明に政治を実権すべて任せた。

 

諸葛孔明劉備の遺言を守り、魏の討伐のため遠征していますが総合戦力は7分の1で不利な戦いでした。勝たなくてもいいが負ける戦はしないことをモットーにして8年間に5回遠征した。そして、最後は遠征先の五丈原で死去しました。孔明は最後まで劉備の遺言を守ったのであった。

 

孔明は慎重な行動をとり、統率力に優れていた。そして、えこひいきがなかったと言われている。

 

孔明がかねてから目にかけていた司令官の39歳の若手将校「馬謖(ばしょく)」が孔明の指示に従わず、大敗を喫しました。軍法を破った馬謖孔明が泣く泣く斬罪に処しました。(泣いて馬謖を切る)。孔明は遺族に対し今まで通り、馬謖の給料を保証したそうである。

 

【年表】
紀元前202年 漢の高祖(劉邦)中国を統一(前漢
   141年 武帝が即位 漢が栄える。シルクロードが開かれ東西が交流した。
        司馬遷史記を完成させる
紀元  25年 光武帝(劉秀)が漢を再興。都を洛陽に移す
    67年 仏教伝わる
   184年 黄巾の乱が起こり、群雄割拠の時代に入る
   189年 董卓が政治を独裁、洛陽を焼き払い長安に都を移すがやがて殺される
        小説「三国志演戯」は劉備関羽張飛が義兄弟になる「桃園の誓い」で始まるが
        正史「三国志」ではこの記述はない。
   200年 官渡の戦い曹操袁紹を破る
   201年 劉備曹操に破れ荊州劉表のもとへ
   207年 劉備、「三顧の礼」をもって孔明をむかえる
   208年 赤壁の戦い孫権劉備が同盟を結び、曹操を破る。劉備成都に入り、天下3分
   の形になる。
   220年 曹操、死去。息子、曹丕(そうひ)が「魏」を起こす。「後漢」、滅ぶ。
   221年 劉備、蜀(蜀漢)をおこす。
   222年 孫権、呉を起こす。三国時代始まる。
   223年 劉備白帝城で死去。
   224年 孔明劉備の遺言を守り、魏や呉に対抗するが五丈原で陣没。
   263年 魏が蜀を滅ぼす。
   265年 司馬炎(晋の武帝)が魏から帝位を奪い晋(西晋)をおこす。
   280年 晋(西晋)が呉を滅ぼし、中国を統一する。