「人生朝露の如し」ならば「人生意気に感じたい」

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昨日(7月26日)、義父の葬儀を終え、家内の実家の山口県山口市堀から周南市福川の家に戻りました。

 

昨夜は早めに床に入り、十分睡眠をとり、6時半に起きました。家主が5年前に亡くなり、残された家の縁側に出て、日記を書いています。

 

広い庭の青々と茂った草木を見ながら「人生朝露の如し」という言葉を思い出しました。

 

「人生朝露の如し」は漢の時代、匈奴に捉えられた漢の使者「蘇武」に対し、将軍「李陵」が匈奴へ帰順を勧めたときに用いた言葉の一節らしいですが、義父は96歳の天寿を全うしたとはいえ、今年の2月の義母の一周忌の法事で会ったときは頭もはっきりして元気でしたので、人の命のはかなさを感じ、人生は長いようで短いとも思えてきました。

 

いずれ、私も死に直面しなければならなくなりますが、具体的に心の準備をどのようにすべきかわかりませんので、とりあえず、仏教に関する知識を折に触れ仕入れて行こう思います。

 

一方、藤沢周平の小説「三屋清左衛門残日録」では「日残りて暮るるに未だ遠し」、人生の日没にまだ早い、やりたいこと、やるべきことは沢山あると言っています。

 

三屋清左衛門残日録

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また、中国の古典「唐詩選」作者「魏徴」は才能を認められ、敵の皇帝に迎えられたとき読んだ詩の一節「人生意気に感ず、功名誰か論ぜん」とあるように人生は男同士の意気に感ずるもの、功名などは問題とするにあたらない、人間はそれぞれの利益によって動くものとしても、お互い打算ばかりで動いていたら、人生あまりにも味気がないとあります。

 

「人生朝露の如し」ではあるが「人はものの考え様」、60歳前半の私は「日残りて暮るるに未だ遠し」である。そして「人生意気に感じたい」という気持ちになってきました。これから「人生意気に感じる何か」を探求をしていきたいと思いました。