3月15日から3月19日までの新聞やテレビニュースで報道された一部の現場写真や中国政府の発表だけでは暴動の原因や状況がわからず、16日には四川省や甘粛省に広がり抗議行動が起こり、鎮圧されたことが報じられましたが、その後、詳細な情報は報道されていません。
中国共産党統制下にある新華社通信は党寄りの報道をしており、中国政府とチベット亡命政府が発表した死者の数が大きく違い、また暴動を伝える映像も偏っており、【チベットが辿った70年の経緯】(下記)を知る海外メディアは中国のダライ・ラマ首謀説に疑問を投げかけています。
3月19日に温家宝首相が会見を開き、ダライ・ラマは「中国がチベットに対し文化的虐殺を行っている」と中国を非難しているがそれはでたらめであり、暴動はダライ・ラマが「北京五輪を破壊する目的で扇動した」と非難しました。
コソボ独立
中国共産党の機関紙「人民日報」は「チベット住民を含む13億の中国人民は、チベットの安定を揺るがす者を誰1人として許さない。そのためには、中国政府は取り締まりを徹底し、一部の不法な犯罪者を厳しく罰する必要がある」と中国政府の姿勢を伝えています。
3月25日のAFP通信によるとチベット当局は3月10日のラサでの抗議運動に参加したとして13人を拘束したことを明らかにしました。
中国政府は内政問題として外国人や海外メディアのチベット立ち入り禁止をとったことや中国政府の情報統制と一方的報道に対し各国から非難の声が上がっておりました。
3月14日の暴動発生から13日目の3月26日に海外メディアの中国常駐記者の一部に対し、ラサの取材を許可すると発表しました。取材を認めたのは、国際社会からの批判をかわすためと見られていますが公平で透明な取材ができるか注目されています。
【チベットが辿った70年の経緯】
1940年 2月 ダライ・ラマ14世即位
1949年10月 中華人民共和国成立
1951年 9月 中国人民解放軍、ラサに進駐
1959年 3月 チベット動乱、ダライ・ラマ14世、インドへ亡命
1959年 4月 チベット亡命政府樹立
1969年 9月 チベット自治区成立
1989年 1月 チベット仏教指導者パンチェン・ラマ10世死去
1989年 3月 ラサで大規模な暴動、戒厳令発令
1989年12月 ダライ・ラマ14世ノーベル平和賞受賞
1990年 5月 戒厳令解除
1993年 4月 ダライ・ラマ訪米、クリントン大統領と会談
1993年 5月 ラサで暴動
1995年11月 中国政府、パンチェン・ラマ10世の後継者決定
2000年 1月 チベット仏教の活仏カルマパ17世、インドへ出国
2000年 6月 中国初のチベット白書発表
2003年11月 ダライ・ラマ、チベットに「1国2制度」を提唱
2006年 7月 チベット~青海省間、「青蔵鉄道」開通
2007年10月 米議会、ダライ・ラマに勲章授与
2008年 3月 ラサで大規模な暴動
【参考】「基礎からわかるチベット情勢」、読売新聞、2008年3月19日
1940年 2月 ダライ・ラマ14世即位
1949年10月 中華人民共和国成立
1951年 9月 中国人民解放軍、ラサに進駐
1959年 3月 チベット動乱、ダライ・ラマ14世、インドへ亡命
1959年 4月 チベット亡命政府樹立
1969年 9月 チベット自治区成立
1989年 1月 チベット仏教指導者パンチェン・ラマ10世死去
1989年 3月 ラサで大規模な暴動、戒厳令発令
1989年12月 ダライ・ラマ14世ノーベル平和賞受賞
1990年 5月 戒厳令解除
1993年 4月 ダライ・ラマ訪米、クリントン大統領と会談
1993年 5月 ラサで暴動
1995年11月 中国政府、パンチェン・ラマ10世の後継者決定
2000年 1月 チベット仏教の活仏カルマパ17世、インドへ出国
2000年 6月 中国初のチベット白書発表
2003年11月 ダライ・ラマ、チベットに「1国2制度」を提唱
2006年 7月 チベット~青海省間、「青蔵鉄道」開通
2007年10月 米議会、ダライ・ラマに勲章授与
2008年 3月 ラサで大規模な暴動
【参考】「基礎からわかるチベット情勢」、読売新聞、2008年3月19日