食い違う中国政府とチベット亡命政府のチベット騒乱の報道

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3月15日の読売新聞の第一面に中国共産党統制下のメディアである新華社通信の報道として「3月14日に中国チベット自治区の区都ラサで大規模な暴動が発生した」と伝えました。

 

3月15日から3月19日までの新聞やテレビニュースで報道された一部の現場写真や中国政府の発表だけでは暴動の原因や状況がわからず、16日には四川省甘粛省に広がり抗議行動が起こり、鎮圧されたことが報じられましたが、その後、詳細な情報は報道されていません。

 

中国共産党統制下にある新華社通信は党寄りの報道をしており、中国政府とチベット亡命政府が発表した死者の数が大きく違い、また暴動を伝える映像も偏っており、【チベットが辿った70年の経緯】(下記)を知る海外メディアは中国のダライ・ラマ首謀説に疑問を投げかけています。

 

3月19日に温家宝首相が会見を開き、ダライ・ラマは「中国がチベットに対し文化的虐殺を行っている」と中国を非難しているがそれはでたらめであり、暴動はダライ・ラマが「北京五輪を破壊する目的で扇動した」と非難しました。

 

一方、ダライ・ラマ14世はチベット人民が現在の中国の統治に対して抱く根強い憤りの表れであるとして暴動の関与を否定し、原因究明のため国際調査団の派遣を受け入れるべきであると訴えています。

 

中国政府は少数民族自治区ソビエト連邦崩壊後の共和国との紛争と独立、旧ユーゴスラビアボスニア・ヘルツェゴビナ紛争やコソボ独立のように中国から分離独立することを恐れています。

 

コソボ独立

yaseta.hateblo.jp

 

中国共産党の機関紙「人民日報」は「チベット住民を含む13億の中国人民は、チベットの安定を揺るがす者を誰1人として許さない。そのためには、中国政府は取り締まりを徹底し、一部の不法な犯罪者を厳しく罰する必要がある」と中国政府の姿勢を伝えています。

 

3月25日のAFP通信によるとチベット当局は3月10日のラサでの抗議運動に参加したとして13人を拘束したことを明らかにしました。

 

チベット亡命政府によると今回の騒乱は1959年のチベット動乱でダライ・ラマ14世が亡命してから49周年を迎えた3月10日の抗議デモに対し中国側が過剰に反応したため拡大したと伝えました。

 

中国政府は内政問題として外国人や海外メディアのチベット立ち入り禁止をとったことや中国政府の情報統制と一方的報道に対し各国から非難の声が上がっておりました。

 

3月14日の暴動発生から13日目の3月26日に海外メディアの中国常駐記者の一部に対し、ラサの取材を許可すると発表しました。取材を認めたのは、国際社会からの批判をかわすためと見られていますが公平で透明な取材ができるか注目されています。

 

3月26日の読売新聞に欧米諸国は中国とダライ・ラマの対話を求めていましたが中国政府はダライ・ラマは国の分裂活動を行っているとして対話を事実上拒否したと伝えています。

 

また、インドのチベット亡命政府チベット自治区のラサ、甘粛省四川省の暴動での死者は約140人に達していると発表しました。

 

欧米も日本も中国との貿易が増大しており、チベット問題の悪化は経済の悪化につながり、中国は北京五輪を成功に導くことを望んでいます。

 

今後、各国政府、世界の人権団体など各種団体、日本政府、チベット亡命者のNGO、チベット亡命政府チベット人民そして中国政府はどのような行動をとるのか気になるところです。

 

チベットが辿った70年の経緯】
1940年 2月 ダライ・ラマ14世即位
1949年10月 中華人民共和国成立
1951年 9月 中国人民解放軍、ラサに進駐
1959年 3月 チベット動乱、ダライ・ラマ14世、インドへ亡命
1959年 4月 チベット亡命政府樹立
1969年 9月 チベット自治区成立
1989年 1月 チベット仏教指導者パンチェン・ラマ10世死去
1989年 3月 ラサで大規模な暴動、戒厳令発令
1989年12月 ダライ・ラマ14世ノーベル平和賞受賞
1990年 5月 戒厳令解除
1993年 4月 ダライ・ラマ訪米、クリントン大統領と会談
1993年 5月 ラサで暴動
1995年11月 中国政府、パンチェン・ラマ10世の後継者決定
2000年 1月 チベット仏教の活仏カルマパ17世、インドへ出国
2000年 6月 中国初のチベット白書発表
2003年11月 ダライ・ラマチベットに「1国2制度」を提唱
2006年 7月 チベット青海省間、「青蔵鉄道」開通
2007年10月 米議会、ダライ・ラマに勲章授与
2008年 3月 ラサで大規模な暴動
【参考】「基礎からわかるチベット情勢」、読売新聞、2008年3月19日

 

【参考】
(1)「チベット騒乱に関する記事」、読売新聞、2008年3月15日~19日、25日、26日
(2)「抗議運動のチベット人を拘束」記事、AFP通信、2008年3月25日