上映期間終了ぎりぎりの10月31日に「出口のない海」を見に行きました。
私は映画の中の主人公と同じ年代に回天基地のある山口県周南市(旧徳山市)で14年間過ごし、新入社員の教育期間を含め数回、そして、今年の3月に回天基地を訪れたこともあり、回天については思い入れがあります。
しかし、回天について良く知っているかと言うとそうでもなく、戦争末期の日本は滅亡の危機に曝されており、彼らが置かれた環境を考えると、回天や神風のような体当たり攻撃をせざるを得なかったということを聞いたりして分かったつもりでいましたが、本当に理解しているわけではありません。
ただ、回天記念館にある遺書遺文を読むと家族や国を思う気持ちが切々と伝わってきて同じ年代の人が書いたとは思えない立派さと感動を覚えます。
やはり、死を冷静に受け止め、家族を守ると決心するとこういう立派なことができるのかと思い、私なら多分できず逃げ惑うのではと思っています。
回天記念館にある遺書遺文からはそのような才能を持った人はいたかどうか知ることはできませんが、我々が理解しやすく、関心をもつために小説や映画ではこのような人を設定したのだと思います。
そして、華々しく散っていくかと思ったら、攻撃寸前故障で帰還し、最後は回天創始者の黒木少佐と同じ運命を辿ることなってしまいました。
人間魚雷「回天特攻隊」
黒木少佐の遺書は回天の事故を詳細に分析したものや辞世を残していますが、主人公の場合は友達や恋人に遺書を残しており、その内容には人間味を出しており、私は思わず涙してしまいました。
回天記念館には62年前の回天出撃の朝に家族に宛てた回天特攻隊菊水隊「今西太一海軍少尉」の次ような遺書が残されています。
今西 太一 昭和19年11月20日ウルシーにて戦死、海軍少尉、26歳
お父様
フミちゃん
フミちゃん
太一は本日、回天特別攻撃隊菊水隊の一員として出撃します。
日本男児と生まれ、これに過ぐる光栄はありません。勿論生死の程は論ずるところではありません。私たちはただ今日の日本がこの私たちの突撃を必要としているということを知っているのみであります。
上御一人に帰し奉るこの道太一26年の生涯に教えられた唯一のもであり、そのままの生き方を為し得る今日を喜ぶものであります。
中略
最後の別れを十分にしてくるようにと家に帰していただいたとき、実のところもっともっと苦しいものだろうと予想して居ったのであります。しかしこの攻撃をかけるのが特別なものではなく、日本の今日としては当たり前と信じている私には何等悲壮な感じも起こらず、あのような楽しい時をもちました。
お父様、フミちゃんのその淋しい生活を考えると何も言えなくなります。けれど日本は非常の秋に直面しております。
日本人たるものこの戦法に出ずるのは当然のことなのであります。日本人としてこの真の生き方の出来るこの私、親不孝とは考えておりません。淋しいのはよくわかります。しかしここ一番こらえて戴きます。
太一を頼りに今日まで生きて下さったことも充分承知しております。それでも止まれないものがあるのです。フミちゃん立派な日本の娘となって幸福に暮してください。これ以上に私の望みはありません。お父様のことよろしくお願いします。私は心配かけっ放しでこのまま征きます。その埋め合せお頼みします。
他人がなんと言えお父様は世界一の人であり、お母様も日本一立派な母親でありました。この名を恥かしめない日本の母になって下さい。この父と母の素質を受け継いだフミちゃんにはそれだけの資格があるのですから。
何も動ずることのない私もフミちゃんのことを思うと涙を留めることができません。けれど、フミちゃん、お父様泣いて下さいますな、太一はこんなにも幸福にその死所を得て行ったのでありますから、そしてやがてお母様と一緒になれる喜びを胸に秘めながら。
軍艦旗高く大空に揚がるところ、菊水の紋章もあざやかに出撃する私達の心の中何と申し上げれば良いのでせう。
回天特別攻撃隊菊水隊今西太一唯今出撃します。
お父様
フミちゃん
フミちゃん
お元気で幸あれかしと祈っております。
ますらおの かばね草むす あら野べに
咲きこそにほへ 大和なでしこ(伊林 光平)
咲きこそにほへ 大和なでしこ(伊林 光平)
元気で行ってまいります。
出撃の朝 太一