石油の歴史No3「ノーベル兄弟とロスチャイルド家」

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ロシア帝国南部カスピ海沿岸の小さな町バクーは古くから知られた産油地帯で紀元前には“永劫の火の柱“の奇跡として拝火教の発祥の地でした。

既に9世紀以来、手掘りで採油しており使用されており、16世紀から商売が始まり、19世紀初期までは小規模ながら石油産業が育っていました。

ドレークの成功の影響を受け、1870年年代初め、ロシア政府はこの地域の個人の競争企業を認めました。そして、1873年までに小規模な製油所が続々誕生します。

後にノーベル賞を作ることになるアルフレッド・ノーベルの父で発明家のイマヌエル・ノーベルは軍事工場を作るため、スウェーデンからロシアに移住します。アルフレッドは兄2人、弟1人の4人兄弟でしたが、弟は工場爆発で死んでいます。

父は失敗しますが、次男ルドヴィッヒは軍事工場を跡継ぎたてなおします。アルフレッドは化学と経営の才能があり、ニトログリセリン爆薬からダイナマイトを発明し、世界的な企業を築きます。

 

長男:ロバート・ノーベル(ノーベル石油会社の所有者)

次男:ルドヴィッヒ・ノーベル(ノーベル石油経営者 急逝 享年57歳)

三男:アルフレッド・ノーベル(ダイナマイト発明者)

 

1873年長男ロバート・ノーベルがバクーにやってきて、たちまち石油熱に取り付かれ、小さい製油所を買いました。
化学者の血を引く彼らは原油から不純物を取り除く方法を発明し、他社からも原油を買い取り拡大し、コーカサス地方で最も利益の上げる企業になりました。

会社はロシアの灯油の半分を生産することになり、アメリカの灯油すなわちスタンダードオイルの灯油をロシアの市場から完全に追い出すことになりました。

19世紀の終わり、フランスのロスチャイルド家がロシアの油田を買い、バクーから黒海の港町バツームまでの鉄道建設に投資します。

ロスチャイルド家は戦争にも、政府にも、企業にも資金を出す世界で最も有名なユダヤ人でした。
後の第二次大戦後、パレスチナイスラエルを建国のときの強力なスポンサーにもなります。

ロスチャイルド家カスピ海黒海石油会社を設立し、アドリア海沿岸の自分の製油所に石油を送り込みます。

これにより、ノーベル兄弟とロスチャイルドのロシアの石油がヨーロッパ市場に流れ、スタンダード・オイルのシェアは78%から71%に下がりました。

1888年ノーベル石油の総指揮官のルドヴィッヒ・ノーベルが57歳で急死しました。ヨーロッパの新聞がノーベル兄弟を混同して、ダイナマイトキング、死の商人の死去と報道しました。
生きているアルフレッドは自分に対する「人を殺し、傷つける新方法を編み出し、莫大な財産を築いた」という記事に考え込み、遺書を書き換える決心をします。

財産で、ノーベル賞を設立し、人類に尽くした功績を讃える自分の名前を永久に残そうと考えたのでした。

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【参考資料】
1.「石油の世紀」上、ダニエル・ヤーギン著、日高義樹、持田直武訳、日本放送出版協会、1991年発行
2.「石油の開拓者たち」村上勝利著、論創社、1996年発行
3.「オイル・ビジネス」リチャード・オコーナー著、富岡隆夫、三露久男訳、(株)サイマル出版会、1972年発行