石油の歴史No10「自動車部隊の先駆けとなったパリのタクシー部隊」

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1914年6月28日オーストリアのフランツ・フェルデナンド皇太子がサラエボで暗殺され、7月28日オーストリアセルビアに宣戦を布告しました。わずか2ヶ月でヨーロッパの主な国がほとんど戦争に加わりました。第一次世界大戦の始まりでした。

この戦争は19世紀後半20世紀初頭にかけての発明品がすべてつぎ込まれた人と機械の戦いでした。これらの機械はすべて石油を動力源としていたのです。

フィッシャー提督ウィンストン・チャーチルが予言した以上に石油と内燃機関は陸、海、空における機動力を飛躍的に高め、戦争の様相を一変させました。
しかし、同時に戦争による荒廃を何十倍と拡大していきました。

【パリのタクシー部隊】

戦争が始まった当初は陸上戦闘に関する限り石油が重要な役割を果たすとは考えられませんでした。
ドイツは鉄、石炭、鉄道輸送網で優位を誇示し、戦闘は短期間のうちに終わると考えていました。

ドイツ軍は進撃が続き、1914年9月、フランスの首都パリに迫り、フランス政府は10万人の市民とともに避難しました。
フランス軍総司令官はじめ軍部もパリを撤退する検討をしていました。

しかし、パリ防衛の責任者である老将軍「ジョゼフ・ガリエニ」は空からの偵察に基づいて彼はドイツの前線部隊に打撃を与え、前進を停止させる手段があると確信していました。

戦争という非常事態に直面し、自動車に輸送と内燃機関が極めて有用となる可能性を見出したのでした。

1914年9月6日、数日前パリ撤退に備え、タクシーによる輸送部隊を編成していたが、利用可能なタクシーすべてを使い、数千の軍隊を最前線に輸送するというユニークなアイデアを考えつきました。

ガリエニ将軍はパリ市内の3000台のタクシーを残らず徴用する命令を出しました。
タクシー運転手は料金をもらえ、祖国の危機を救うためという気持ちから、タクシーは続々とあつまり、大輸送部隊が編成されました。

ガリエニ将軍のタクシー部隊は数千人単位の兵力を次々と送り込み、これが大きな成果あげました。
フランス軍の戦線は増強され、9月8日明け方からフランス軍は前線にわたって激しい攻撃を加えました。9月9日ドイツ軍は支えきれず、ついに退却を開始しました。

2日間の不眠不休の働きで、疲れ果てパリに帰ったタクシー運転手たちは料金を受け取りましたが、彼らはパリを救い、自動車輸送が将来どれだけ意味を持つかを実地に証明してみせたのでした。

これは将来の自動車部隊のさきがけとなったと言われており、後にパリはガリエニ将軍に感謝をこめて、アンヴァリド前広場を横切る大通りをガリエニ元帥通りと命名したそうです。

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