平安時代中期の官位相当表について

官位相当表 1/4

官位相当表 2/4

官位相当表 3/4

官位相当表 4/4

【大宝・養老律令について】
藤原不比等律令国家と平城京建設の青写真を作り、701年大宝律令成立、710 年平城京完成、718年養老律令を成立させ、律令国家としての原型を構築しましたが孫の首(おびと)皇子の聖武天皇誕生と新しい政治の中心平城京を内外にアッピールした724 年の聖武天皇即位式を見ることなく、4年前の720年62歳で亡くなっていました。

律令とは『刑罰について定めた法令「律」』および『政治の仕組みを定めた憲法行政法民法などの法令「令」』のことで国家の根幹を成す法典である。

【官位相当制について】
701年、718年の律令成立は日本も強大な国家「唐」と同じ律令国家であり、君子の国家でもあることを認めさせたのでした。

律令に基づく官位令に従った新しい官位官職制度(官位制)は、まず官人(官僚)を位階によって序列化し、そしてその位階に応じて官職が与えるというものでした。
しかし、日本には律令成立以前から体系的でないものの、氏族的な序列が既に存在していましたので既に政権を握っていた氏族の既得権を勘案した官位制に改訂することにしました。

こうして、唐の官位制とは異なり、五位以上の親や祖父の官位によって子や孫が自動的に位階を与えるという「蔭位(おんい)制」を組み込んだ日本独自の「官位相当制」を作り上げました。

律令成立から約150年後の平安時代中期の官位相当制を具体的に解説した官位相当表(*2)を掲載しました。

【参考】
1.「官職要解 講談社学術文庫」 和田英松 講談社 1983.11
2.「官位相当表 平安大事典」 倉田実/編 朝日新聞出版 2015.4
3.「官位相当制」 Wikipedia