医薬と農耕の神「神農」と神農が残した漢方薬では役に立ちなかった疫病に対処した陰陽師

草を嚙む神農図

地球上の至る所に移動した人類が、定住し、安全な食物を栽培して主食となる食料を得るようになる以前は自然に存在する水、野草・木の実・キノコなど草木、鳥・獣、魚・貝など手当たりしだい口にしたに違いありません。

太古の人々が最も恐れたものは病(やまい)や毒に当たる食べ物だったと思います。キノコは美味く、栄養がありますが、毒キノコもあり、それを食べ、毒にあたり、苦しみ、命を落とすことがしばしばありました。

そんな中、紀元前3000年頃、古代中国に人身牛首(じんしんぎゅうしゅ)の姿をした胸と腹の部分だけが透明で、内臓が外からはっきり見えるという異様で摩訶不思議な老人が現れます。(参考1~4)

老人は赭鞭(しゃべん、赤いむち)で百草(たくさんの草木)を払い、それを口に入れて毒の有無や効能を確かめました。もし悪いものを食べると透明な体から見える内臓は黒くなり、毒があるかどうかを確認できたそうです。

老人はその体であらゆる草木を吟味して民衆に食用と毒草の違い、飲用水の可否など民衆に知識(医薬)を広め、また五穀(稲、粟、小豆、麦、豆)の栽培方法や木を加工した農具を作り(農耕)を広めたといわれています。さらに食用・医薬となる草木や作物の物々交換する市場を開き、民衆を呼び寄せたことで店ができ、周辺の集落に広がり、交易が始まったと伝えられています。

薬草探究の毒見で一日に70回も毒に当たり、その最期は猛毒のある断腸草を咬んだことで亡くなったと言われています。享年120歳でした。いつしか、その老人は医薬と農耕の神として崇められるようになり、神農と呼ばれるようなりました。

神農は世界最古の本草書「神農本草経」にその名を残したということです。

神農の話は歴史として認められる中国最初の王朝「殷」の時代よりさらに1600年さかのぼった話であり、神話として伝えられ、「伏羲(ふつぎ)、黄帝そして神農の三人の帝王を中国神話の最上位に置き、神「三皇」と呼ばれ、崇められています。

【三皇】

yaseta.hateblo.jp

【神農の体を張って得た医療の知識や知恵も役立たない感染症
神農が残した医薬やその後発展した医薬・医療も知識もほとんど役にたたなく、人々が次々と倒れていく「はやり病(やまい)」がありました。(参考1)

2020年から2024年2月現在も増加を続けている新型コロナウイルスやインフルエンザのような微生物の病原体(ウイルスなど)が周りの人に飛沫で乗り移り、引き起こす「疫病(感染症)」です。

例えば、平安時代の995年(長徳元年)1月、疫病が流行し、藤原兼家の長男、 関白 道隆43歳、を含む納言(なごん)以上2人、四位7人、五位54人の計63人の上級貴族が死亡しました。(参考6)

藤原兼家は990年62歳で既に亡くなっており、次男の藤原道兼は、疫病で亡くなった長男道隆から関白を継承したが、わずか4ヵ月後の995年5月に35歳で死亡しました。

三男の藤原道長は朝廷に23歳で朝廷に出仕して7年の間に、父兼家をはじめ彼の2人の兄(異母兄の道綱を除き)も、また道長より上席にあった公卿のほとんどが死去したことにより、わずか30歳で右大臣に昇進して繁栄の基礎を築くことになりました。(参考7)

このように平安時代の始め頃からたびたび起こる原因不明な疫病や災害に朝廷で国政を担う天皇・上級貴族はじめ一般民衆は生命・財産を守るすべがなく、おびえと不安を抱えながら生活していました。

疫病や災厄のしわざは物の怪(もののけ、生霊、死霊、邪気)が人の体にとりついてたたると信じられていました。

物の怪(もののけ)による不安がまん延していた平安時代中期、当時の最先端技術を持つ陰陽師の天体の動きなどからの吉凶占いや祓(はらえ)や祈祷は、物の怪の取り除きに効果があり、民衆の不安が軽減されるとして、神官や僧侶の法力による加持祈祷を越え、評判になりました。(参考8)

ゴーストバスター(物の怪退治)として頭角を現した安倍晴明は朝廷の権力者藤原道長に重用されるようになり、陰陽道は保護を受け、主導権を握りるようになったといいます。
(天文道の安倍晴明と暦道の賀茂保憲が認められ、安倍氏とその嫡流末裔「土御門家」が天文道の宗家、賀茂氏とその嫡流末裔「勘解由小路家(かでのこうじけ)」が暦道の宗家として世襲していくことになる。参考5)

現代においても新型コロナウイルス感染症が大流行し、2020年後半まではワクチンなど予防・治療薬がないためいつコロナウイルスに感染し、発症するかかわからなく、不安で心が不安定になり、生活に影響を及ぼしました。

ましてや、感染症に対する医療体制や薬がない平安時代、疫病や災厄は物の怪(生霊、死霊、邪気)のたたりと信じられ、疫病が広がった時、人々はいつその「物の怪」にとりつかれ、いつ疫病になり、命がなくなるか恐怖と不安は相当なものだったに違いありません。

そんなとき、陰陽師は疫病をもたらす悪霊「物の怪」を退散させ、人々を恐怖と不安から解放し、安全・安心を与えてくれたのです。

【参考】
1.「日に70種の薬を発見!古代中国・人身牛首の医神」薬の世界見聞録Vol.1、米田正基、山崎幹夫アストラゼネカ(株)
2.「漢人物」作者・出版社・発行日不明、齋藤蔵書
3.「神農」フリー百科事典ウィキペディアWikipedia
4.「三皇」フリー百科事典ウィキペディアWikipedia
5.「陰陽道宗家」フリー百科事典ウィキペディアWikipedia
6.「日本古代史年表」吉川弘文館編集部、(株)吉川弘文館、2006.12.10
7.「日本歴史大系3 貴族政治と武士」井上光貞、永原慶二 編、(株)山川出版社、1995.11.15
8.「平安大事典 図解でわかる「源氏物語」の世界」倉田実 編、朝日新聞出版、2015.4.30