福田康夫首相の父の故福田赳夫首相の一言「人命は地球より重し」

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9月23日に第91代総理大臣に指名された福田康夫氏は第67代内閣総理大臣(在任期間1976年12月~ 1978年12月)を勤めた故福田赳夫(たけお)氏の長男です。

 

私は福田赳夫首相といえば、1977年9月28日の「日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件」を思い出します。なぜなら、1977年11月号のI社所内報の戯評にマンガを描き載せたからです。
(当時のマンガに色塗りをして上記に掲載しました。)

 

そして、偶然にもちょうど30年前の1977年の今日が「ダッカ日航機ハイジャック事件」が起こった日だったのです。

 

期日は違いますが福田康夫首相が就任したと同じ9月、お父さんの福田赳夫首相の時の9月28日に事件が起こり、「人命は地球より重し」という一言を言い日本ならではの手段でハイジャック事件を解決し、世界中に反響を呼びました。

 

【福田 赳夫(ふくだ たけお)首相とダッカ日航ハイジャック事件】
1977年9月28日、パリ発東京行きの日本航空DC8機がインドのボンベイ(現ムンバイ)空港離陸直後、日本赤軍5名にハイジャックされ、バングラディッシュダッカ空港に強制着陸させられました。

 

犯人グループは日本で拘置されている同志の釈放と乗客の身代金16億円を要求し、拒否された場合、乗客乗員156名を機体とともに爆発すると脅したのです。

 

日本国政府は喧々諤々の議論をしましたが、最終的に人質の人命を尊重する立場をとることにしたのです。時の首相福田赳夫は「人命は地球より重い」と述べて、身代金の支払い及び、超法規的措置として拘置中のメンバー日本航空特別機でダッカへ輸送しました。

 

10月2日、人質との交換が行われ、乗員乗客の一部を残しましたが、10月3日、アルジェリアのアルジェ空港で残りの人質の乗客乗員全員を解放し事件は落着しました。

 

しかし、日本は事件解決のため、犯人の脅しに屈服し、要求を飲み、テロを助長する行為であると一部の外国から非難を受けました。(この行為について世界でも正否は別れ、必ずしも間違った判断とは言われなかったような気がします。)

 

そして、その後のドバイ空港を飛び立った西独ルフトハンザ機が10月18日に西ドイツ赤軍4人にハイジャックされ、ソマリアモガディシオ空港に着陸しました。犯人グループはシューマン機長を殺害し、西ドイツ赤軍派11人とトルコに拘置中のパレスチナゲリラ2人の釈放を要求しました。

 

しかし、西ドイツのシュミット首相はそれを拒否し、強攻策をとったのです。西ドイツ国境警備隊の対ゲリラ特別チーム28人が小型爆弾で機内の4つのドアを爆破し、強行突入して乗員乗客86人全員を解放しました。

 

西ドイツの行動は多くの国々から賞賛されました。しかし、翌日の10月19日西ドイツ赤軍派は誘拐していたドイツ経営者連盟会長のハンス・シュライヤー氏が報復として殺害されました。

 

日本はこれらの事件を教訓として、対テロ特殊部隊の創設をしました。その後、増設され、特殊急襲部隊(SAT)と名前が変更されました。

 

【参考】
(1)「20世紀の全記録(クロニック)」、小松左京堺屋太一立花隆講談社、1987年
(2)フリー百科事典「ウィキペディアWikipedia)」