防衛庁と自衛隊が発足した1954年は力道山の空手チョップに日本中が熱狂しました

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数日前のNHKニュースで防衛庁防衛省に格上げされたことを伝え、防衛省発足にともなう変更点を説明しました。

 

1.内閣府から独立し、他の省と同格になる
2.独自に決議提出や予算要求ができる
3.自衛隊の海外活動が本来任務に格上げされる
4.防衛施設庁を9月をメドに解体する

 

日本の平和憲法の下で昇格するのは良いですが、限られた規模の自衛隊が海外活動に本来任務として出動していくことにより、日本国内の防衛、災害救助が手薄になることが心配です。

 

ニュースはこれまでの自衛隊の経緯を伝えていました。

 

1950年(昭和25年)8月、警察予備隊令が公布され、警察予備隊が発足する。

 

1954年(昭和29年)6月、防衛庁設置法、自衛隊報が公布され、警察予備隊自衛隊となる

 

2007年(平成19年)1月、防衛「省」昇格関連法が施行された

 

1954年(昭和29年)頃と言えば、私は初めて、山奥から大都会東京の親戚の家に遊びに行き、今でも強烈に印象に残ったことを思い出しました。

 

実際、1954年(昭和29年)に東京に行ったのは1年上の兄で、私は翌年の夏休みで小学校の5年生の時でした。

 

山形県の小国町から夕方米坂線坂町行の汽車に乗り、乗り換え、新潟で上越線上野行の鈍行に乗り換え、翌日の朝に上野に着き、高円寺に住む叔父に迎えに来てもらいました。

 

今でも覚えているのが、叔父に連れて行ってもらった神宮プールでの水泳競技見物と初めて食べたカレーパンの美味しかったことですが、何と行っても鮮明に記憶に残っているのが新宿か中野かで黒山のように集まった人々が見ていたのは街頭テレビのプロレス中継でした。

 

力道山が空手チョップで白人を痛めつけるシーンに観衆はどよめき、熱狂しました。

 

相撲出身の力道山と柔道出身の木村組対シャープ兄弟の試合は爆発的な人気を呼び、プロレスブームを起こし、プロレスが日本の人々を元気づけてくれました。

 

【参考】
1954年2月、日本初のプロレスリング国際試合が蔵前国技館で行われました。
メーンイベントは力道山・木村組対NWA世界タッグチャンピオンのシャープ兄弟との3本勝負でした。結果は引き分けでした。

 

1954年12月に初のプロレス日本選手権試合、力道山対木村の60分3本勝負は空手チョップの力道山が勝ちました。

 

ずっと後になってから気づきましたが、私が見物した水泳競技は翌年開かれたメルボルンオリンピックの選考会だったのです。