ヒトラー暗殺事件の映画「ワルキューレ」をみて

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映画「ワルキューレ」上映予告のチラシを見て、友人の恩師がヒトラー暗殺計画に関与したルードヴィッヒ・ベックを研究していたことを思い出し、2月11日、ブログに載せました。
 

yaseta.hateblo.jp

映画「ワルキューレ」は3月20日に封切りになり、現在も上映中です。先日、東京に出る機会があったので有楽町のTOHOシネマズ日劇で、ようやく見ることができました。

 

結末は分かっていますがどのように暗殺計画を立て、実行し、どのような行き違いが合って失敗したのかは知らないのでどんな映画はどんな展開になるか期待しながら、ハラハラドキドキしながらみました。

 

当時のドイツ国内にはヒトラーに反対するレジスタンス・グループが幾つも存在し、1943年3月13日、トレスコウ少将はヒトラーが乗る飛行機に時限爆弾を仕掛け、暗殺を図るも失敗に終わるなど、ワルキューレ作戦を実行する前までも数多く、ヒトラー暗殺を企てましたがことごとく失敗に終わっていました。

 

1944年、シュタウフェンべルク大佐はヒトラーと直接、面会が可能な人物であることを利用し、ドイツ国内での有事の際、反乱軍を制圧する「ワルキューレ作戦」を企画し、ヒトラーに承認をもらい、その後、改ざんして、ヒトラー暗殺後、改ざんしたワルキューレ作戦を発動し、予備国防軍使い、ナチス政権転覆を図ろうとしました。このワルキューレ作戦の成功確率は高いと思われましたが下記のような偶然といくつかの不手際が重なり、失敗に終わりました。

 

1.プラスチック爆弾2個準備したが1個はヒトラー要塞「狼の巣」の会議室近くの部屋で準備中に邪魔が入り、仕掛けたのは1個だけだった。(事実では爆弾1個しか使わなかった理由は謎である。)

 

2.会議室は外からの防爆に優れ、気密性が高い部屋から、開放的な木造の部屋に変更された。

 

3.爆弾はテーブルの下で爆発し、ヒトラーはテーブルに乗り出していたので、テーブルが楯になり被害は及ばなかった。爆弾が1個で、位置が悪く、強烈な爆風はヒトラーの居た場所と別方向に向かった。

 

4.ヒトラーの死亡確認のため、現場に戻り、生きていればとどめをさすべきだったが成功したと信じてしまった。

 

5.狼の巣にいるフェルギーベル将軍が外部と通信遮断するも、完全ではなかった。まもなく、通信回線が回復した。

 

6.オルブリヒト将軍はヒトラー暗殺成功を確認できず、決断を迷ってしまい、ワルキューレ作戦発動を遅らせてしまった。

 

結局、ベルリンの宣伝省のゲッペルスの元にヒトラー生存の情報が入り、ワルキューレ作戦でゲッペルス逮捕にきた予備軍司令官レーマー少佐が事実を知り、逆にシュタウフェンべルク大佐などレジスタンス・グループが逮捕されます。

 

ワルキューレ作戦を知っており、黙認していたフロム将軍はレジスタンス・グループを拘束します。クーデター成功後、国家元首になるはずのルートヴィヒ・ベックは7月20日の夜、その場で自殺しました。7月21日、シュタウフェンベルク大佐、副官のヘフテン中尉、友人のクバルンハイム大佐、オルブリヒト将軍ら4人はフロム将軍により、銃殺されました。そして、トレスコウ少将は自殺、フェルギーベル大将、クーデター成功後、首相予定のゲルゲラー、ワルキューレ作戦を黙認したフロム将軍達が処刑されました。

 

その後、ナチスによる反逆者摘発が始まり、1500人逮捕され、200人が処刑されました。ドイツ国内にヒトラーがうち建てた第三帝国による侵略戦争ユダヤ人虐殺に疑問を抱き、レジスタンスを起こす知識人、軍人、聖職者、学生が多くいたことをあらためて知りました。

 

ナチス・ドイツの最高幹部】

 

1.アドルフ・ヒトラーナチス・ドイツ第三帝国)の総統、1945年4月自殺

 

2.ハインリッヒ・ヒムラーナチス親衛隊全国指導者としてゲシュタポ(秘密警察)長官、ユダヤ人虐殺の指導者、1945年5月英軍の取り調べ中に青酸カリ自殺

 

3.ヨーゼフ・ゲッべルス:国民啓蒙・宣伝大臣、1945年5月ヒトラーの遺言で首相になるが間もなく自殺

 

4.ヴェルヘルム・カイテル国防軍最高司令部長官、1945年5月8日無条件降伏に署名、1946年10月絞首刑

 

5.ヘルマン・ゲーリング:ドイツ空軍総司令官、1946年10月15日絞首刑直前に青酸カリ自殺