北朝鮮の常軌を逸した行動とかつての日本の戦争への道

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10月9日北朝鮮が地下核実験を実施したと発表しました。そして、11日午前に2回目の実験を実施したと発表しました。

これに対し、日本、アメリカなど主要国は非難しており、これまで一定の理解を示していた中国、韓国までが遺憾の意を表明しています。

先のミサイル実験と合わせると核弾頭を積んだミサイルができつつあり、日本に向けて発射される事態がにわかに現実的なものとなりました。

これまでの北朝鮮の常軌をこえる行動に対し、日本やアメリカにより、一部経済制裁を加えていますが、これにより、日本はさらに独自の経済制裁を考えており、国連は核兵器開発の停止・破棄をもとめる決議や制裁措置をもとめる決議を検討しています。

もし、国連決議で各国が一斉に経済制裁を発効するようなことが起これば最悪の事態に陥るかもしれません。

北朝鮮を追い込むと、かつて日本が中国に侵略し、欧米と無謀な戦争の道に突入したパターンに似ているような気がします。

もし、似たような道を辿るとすると、北朝鮮の内部に異変が起こり、軍部の強行派が実権をにぎり、各国の制裁で自国が崩壊するとわかった時点で、日本を道連れにするため、北朝鮮人民総玉砕の覚悟で核ミサイルを日本に向けて発射しかけるというシナリオになりかねません。

実際はこのように単純に考えてはいけませんがイスラム自爆テロや9.11事件や当時の日本の上層部のゆがんだ考えと祖国や家族を守るために命を捧げた日本軍人のことを考えると北朝鮮も絶対に事を起こさないと断言できません。

北朝鮮を袋小路に追い詰めないで、これまでのように中国や韓国の支援をコントロールしながら続け、これを交渉カード(逃げ道)とし、最悪の事態を回避していただきたいと思います。

当然、各国の政府、政治家、賢人、専門家および関係機関は考えて対策を講じるとは思いますが。

【かつての日本の戦争への道】
1931年(昭和6年)関東軍の謀略による柳条湖の南満州鉄道線路上での張作霖爆殺事件が引き金になり、満洲事変を起こりました。

1932年満州国を建国し、石炭、鉄鋼などの資源は確保するものの石油はありませんでした。

1933年満洲建国、中国侵略に対する国際連盟の加盟諸国の非難を受け、それに対抗した日本は国際連盟を脱退し孤立の道を選びました。

1936年皇道派青年将校のクーデター2.26事件が発生し、鎮圧されるも、替わって、陸軍内部の統制派が支配力を握り、軍部の政治的発言を更に強めていきました。

1937年(昭和12年)7月7日北京郊外の盧溝橋で日本軍と中国軍が衝突し、これをきっかけに日中戦争が始まり、中国内部に進攻していきました。

1938年4月国家総動員法を発令されました。

1939年ドイツのポーランド進攻で第二次世界大戦に突入していきます。

1940年9月、日本は日独伊三国同盟を締結し、欧米諸国と敵対関係になりました。そして、米(A)英(B)中(C)蘭(D)によるABCD包囲網が敷かれ、石油禁輸、資産凍結と経済制裁が課せられました。

石油、機械、鉄など大半アメリカから輸入していた日本は追い詰められ、石油などの天然資源を求め、更に、インドネシアビルマなど南方に進攻して行き、太平洋戦争へと突入していきました。