1967年~1976年の年資本と技術導入の自由化について

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1960年代の日本のコンピュータメーカはモスキートでIBMは巨象といわれましたが、日本の自動車メーカもビッグスリーといわれたGM、フォード、クライスラーと比べると同様でした。

1967年わが国は西ドイツを抜きアメリカについで世界第二位の生産国になっていました。
しかし、日本最大の自動車メーカのトヨタでさえ、ビッグスリーの百分の一でした。

当時、外圧に押され、1967年に第一次資本と技術導入の自由化、1969年に第二次の資本と技術導入の自由化を決定しました。
自動車分野の資本と技術導入の自由化についてを経団連の会議で議論したとき、会長の石坂さんは「国際経済社会のメンバーに復帰するためには自由化が必要である。これを伸ばすことは「大人がおんばひがさだ(乳母日傘)(乳母(うば)に抱かれ日傘をさしかけられなどして大事に育てられること)」といったそうです。

しかし、トヨタ、日産など自動車業界首脳、通産省の反対で先送りされました。

そして、日本の資本の自由化は1976年(昭和51年)の完全自由化まで段階的自由化することになりました。