マイクロソフト創立者ビルゲイツ引退を表明

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6月17日の読売新聞にマイクロソフトの創業者ビル・ゲイツ(50歳)が2年後の2008年に経営から手を引き引退する意向を明らかにしたと載っていました。

31年前、若干19歳でマイクロソフトを設立し、世界最大のソフトウエアの帝国を築き、「巨万の富」を得たビル・ゲイツは今度は慈善事業に専念するそうです。

彼の足跡とパソコンの超概略をまとめてみました。

参照 パソコン超概略史 

yaseta.hateblo.jp


1974年(昭和49年)にミッツ社がインテル8080を使ったマイコンレーニングキット「アルティア」を販売しました。
しかし、プログラムはアセンブラ言語(機械語)で使い難いので、マニアの間でしか、使われませんでした。

当時19歳のビルゲイツはCOBOLやFORTRANより軽く、使いやすいプログラミング言語BASICを「アルティア」で作りました。

1975年(昭和50年)に高校の同級生でマイコン仲間のポール・アレンとアルティア用のBASICをライセンスする会社「マイクロソフト」を設立しました。

1976年(昭和51年)22歳のスティーブ・ジョブスマイコン仲間のステファン・ウォズニアックと会社アップルを作り、マイクロソフトのBASICを載せた世界で初めてのパーソナルコンピュータ「アップルⅠ」を販売します。

「アップルⅠ」は大ヒットして、1977年には改良機「アップルⅡ」が販売されました。

日本のパーソナルコンピュータの第1号は2年遅れの1978年の日立ベーシックマスターと言われています。
当初、日本のパソコンをリードしたのはNECが1979年に発売した「PC8001」です。

1981年(昭和56年)IBMはマイクロソフトのOS「MS-DOS」を採用したパソコン「IBM-PC」を販売しましたた。IBM-PCは売上を伸ばし、2年後にはアップル兇鯆匹と瓦、全米シェア40%を獲得しました。

日本ではPC1982年にPC9801を筆頭に各社開発の表計算ソフトが組み込まれた国産PCやIBM-PC、が売れてOAブームが起こりました。

その後、マイクロソフトはウィンドウズ、インターネットエクスプローラーワープロ表計算VisualBasic等のソフトを販売し、圧倒的にシェアを獲得、世界最大のソフトウエアメーカーの地位を築き、今日に至っています。

かつて、スタンダード・オイル・トラストを築き巨万の富を得たロックフェラーは、晩年、慈善事業に専念しました。

ビル・ゲイツはまだ50歳ですが、ロックフェラー同様、あまりにも巨額の富を獲得して、使いきれないので一部を社会に還元しようということなのでしょう。既に、10年前から慈善事業活動を行っているそうです。

アメリカでは、富豪が慈善事業に寄付することを良く聞きますが、日本ではあまり聞きません。

村上ファンドの村上さんも設けた金で阪神球団買収の企画をしたり、ライブドアのフジテレビ株の大量取得に加担するより、一部でも、慈善事業に寄付するような気持ちがあれば、今回のような「ニッポン放送株を巡るインサイダー事件」にまで足を踏み外さなかったかもしれません。

【参考】
日刊工業新聞 1994年12月16日号 “日本株式会社 戦後50年 産業技術編「コンピューター」“ 他