コンドラチェフの波

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3月31日に東証日経平均株価が6年ぶりに1万7000円を越え、企業業績も良くなってきていると報じ、4月2日の読売新聞に2002年2月から景気拡大が4年3ヶ月続いていると報じられていました。景気は本当に良くなったのだと思いました。

私は2005年以降、景気が良くなったというはっきりした兆候や報道を待っていました。
理由はある工学博士がユニークな考えのもとに理由付けした素人でも理解できる仮説が当てはまるかどうか確認したかったからです。

時々、新聞にも出ることがありますが、コンドラチェフの波という1700年~1920年までの資本主義国の景気を統計的に処理し、景気は30年景気が良いと後の30年は悪くなり、60年周期でこれを繰り返すというロシアの経済学者コンドラチェフが1920年に発表した仮説です。

1930年にケインズは政府が景気対策を行なえば景気をコントロールできると唱え、実際に対策を行い効果を上げました。そのため、1930年以降はコンドラチェフの波は起こらないというのが通説になり、忘れ去られました。

ところが、今から24年前の第二次オイルショックの頃の1980年に日本のロケットの生みの親である糸川英夫博士(1912年から1999年)は日本の景気の予測に「コンドラチェフの波」は使えるのではないかと言いだしたのです。

それは二つの理由がありました。
ひとつは、過去60年の歴史の事実でした。
日本では第一次大戦の1915年から第二次大戦の1945年の30年間は大恐慌と戦争で景気は悪かったわけです。そして戦後の1945年からオイルショック1975年の30年間は高度成長をとげ、日本を経済大国にのし上げた。このサイクルが「コンドラチェフの波」に乗っていると言うわけです。

そして、もうひとつの理由は親と子は30年で世代交代するからだというわけです。
1915年から1945年の30年間、景気が悪かったのは「だめな親たちがだめな社会を作り、国をだめにした」その結果、景気が悪くなった。
そして、1945年から高度成長が終焉した1975年の30年間、景気が良かったのは、「だめな親をみてしっかりそっだった子供が大人になり、がんばったから戦後30年で経済大国を作った。
この2つの理由から日本経済は「コンドラチェフの波」にのると言い切った分けです。

そして、1980年に「1975年から2005年まで30年間」は景気が悪くなると予測しました。
理由は戦後から高度成長時代に親から甘やかされ、育った子供が働く世代になるのが1975年から2005年の30年間になり、社会をだめにしてしまう。そのため景気が悪くなるだろうといいました。

さらに、次の2005年から2035年まで30年間は頼りない親だから、しっかりした子供が社会に出て中核を占めるので景気が良くなるだろうと予測しました。

私は数年前、それを思い出し、糸川博士のコンドラチェフの波による予測が当たっているのではないかと思い始めました。そして、今日の新聞を見てなるほど思ったわけです。

10数年前バブル景気など景気の良い時期もありましたが景気の良し悪しを一周期60年という大きな流れで判断する。
グローバル化し、複雑になった社会経済は政府のコントロールの効果も昔ほど成果はなくなってきている。

そう考えると、糸川博士が発掘したコンドラチェフの仮説があてはまりそうです。(あくまで経済の素人の私が言っているだけです。)、残念ながら、糸川博士はこのことを確認することなく1999年にお亡くなりました。

つぎの確認は2035年ですので私はこの世にいないと思うので、次の人に確認してもらうことになります。