そんな矢先、3月11日の昼過ぎ起こった東北地方太平洋沖地震がリーマン・ショック後2年5月をかけ、ようやく、80%の10,434円(3月10日)まで回復した日本経済を旧の木阿弥(もとのもくあみ)にするかのように、3月11日から15日の3日間で、 8,605円とマイナス1,829円と大幅に下落してしまいました。
岩手県、宮城県、福島県の太平洋沿岸を襲った10mを越える巨大津波は過去の経験で安全と思われていた防波堤を楽々越え、町や村を壊滅し、結果的には1万人以上の犠牲者を出し、さらに、原発を安全停止不能にしてしまい最悪の事態を起しかねないと不安な状況を作りだしてしまいました。
特に、原発事故の対処と状況報告を誤ると不安が世界中に広がり、日本への信頼がなくなり、経済だけでなく日本のあらゆるものに影響を及ぼします。
仙台市桜ケ丘の姉の家は甥から連絡があり、被害の程度はわかりませんが大丈夫でした。
仙台市泉区に住む東北大学の元教授の友人に電話で確認したところ、地震発生時は奥様の母親の見舞いのため、奥様と松島町の松島病院にいましたが奇跡的に津波に遭わなかったそうです。松島湾には島が沢山あり、自然の防波堤を呈していたため、津波を押しとどめ海抜ゼロメートルでありながら、全く被害がなかったそうです。
約2キロ離れた東松島市は太平洋に面しているため壊滅的な被害を受けてたが、もし、東松島市に居ればこの世にいなかった。運が良かったとご夫婦で話したそうです。(鉄鋼・金属工学を専門とした彼は定年後、松島町の実家近くに炭焼き釜を作り、ボランティアで中学生や一般に炭焼きを実演しながら教えている。)
「7月9日の午刻(うまのこくばかりに、正午頃)大地おびただしくうごいてやや久し。赤県(せきけん、畿内、京都)のうち、白河のほとり、六勝寺皆やぶれ、くづる。九重の塔も、うへ六重ふりおとす。得長寿院も三十三間の御堂を、十七間まで振り倒す。皇居をはじめて、人々の家々、すべて在々所々の神社仏閣、あやしの民屋、さながらやぶれ、くづる。」
「くづるる音はいかづちのごとく、あがる塵は煙のごとし。天暗うして日の光も見えず。老子共に魂を消し、朝衆(朝廷に仕える人と一般民衆)ことごとく心をつくす(気をもみ、神経をすりへらす)。また遠国、近国もかくのごとし。」
「大地さけて、水わきいで、盤石われて谷へまろぶ。山くづれて河をうづみ、海ただよいて浜をひたす。なぎさこぐ船はなみにゆられ、陸(くが)ゆく駒(こま)は足のたてどを、うしなへり。洪水みなぎり来たらば(津波)、岳(おか)にのぼっても、などか、たすからざらむ。猛火もえ来たらば、河をへだてても、しばしも、さんぬべし。ただ、かなしかるけるは大地震なり。」
「鳥にあらざれば空も、かけりがたく、竜にあらざれば雲にも又のぼりがたし。白河、六波羅、京中にうちうづまれて死ぬる者、いくらという数をしらず。四大種(地、水、火、風)の中に、水火風は常に害をなせども、大地においては、ことなる変をなさず。」
「こはいかに、しつることぞやとて、上下遣戸(やりど、引戸)、障子(しょうじ)をたて。天のなり、地のうごくたびごとには、唯今ぞ死ぬるとて、声々に念仏申し、をめきさけぶことおびただし。」
「七八十、九十の者も、世の滅するなんどいう事は、さすが今日あすとは思わずとて、大きさに驚きさわぎければ、おさなき者共もこれを聞いて、泣きかなしむこと限りなし。」
「------ 省略 ------- 昔より今に至るまで、怨霊は恐ろし事なれば、世もあらんずらんとて、心ある人の嘆きかなしまぬはなかりけり。」(「日本古典文学全集46平家物語2」、市古 貞次、巻第十二「大地震」)
この地震は平家の怨霊のたたりであると人々は恐れ、おののいたということです。
被災された方々の支援や行方不明者の捜索などのさらなる活動を関係者の方々お願いしますが、それと同時に、被害を受けた福島原子力発電所原子炉は冷却不能になり、危険状態に陥っており心配です。懸命の安全停止作業を行ってる方々は日本の一流の技術者および管理者と信じています。安全に停止して全世界に日本の技術力・対応力の優秀さを示していただきたいと思います。
というのも、原因が自然災害とはいえ、また、少ないとはいえ放射能汚染という恐怖と不安を日本にもたらし、その情報が世界に流れたことは今後、スリーマイル島原発事故のように、原発の国内建設は停止に追い込まれ、日本の原発プラント輸出商談はなくなるかもしれません。
日本経済は落ち込み、生活レベルが下がるかもしれません、しかし、これも運命かなとも思い始めました。
今から826年も前に起こった事件を描いた平家物語に流れる「歴史の変動と人間の力を超えて人にふりかかる災いや幸せそして移り変わりのはげしさ(運命やはかなさや無常感)」を感じたしだいです。