奈良興福寺の柔和な阿修羅像と他寺院に見られる怒りの阿修羅像の違い

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野田市南図書館の雑誌棚の雑誌の表紙に見たことのある仏像の絵が載っているのに気がついて見てみました。

 

雑誌は芸術新潮3月号で興福寺創建1300年を記念して開かれる「阿修羅展」の特集でした。
【2009年3月31日(火)~6月7日(日)、上野公園の東京国立博物館興福寺創建1300年記念「国宝 阿修羅展」、奈良市天平6年(734年)興福寺西金堂建立】

 

阿修羅といえば日本史の教科書や副読本に天平文化の代表彫刻の一つとして必ずと言っていいほど載っており、また、阿修羅に関する事柄は絵や言葉を含め、マンガや雑誌やテレビの題材で取り上げられることが多いので名前や姿は知っていました。

 

しかし、詳しくは知らず、阿修羅はいつも争いの絶えない社会で戦っている悪の神というイメージがあり、今回、展示されているような温和な顔の阿修羅像と結びつけて考えられませんでした。

 

芸術新潮の解説を見て阿修羅の「いわく因縁」がわかってきました。

 

インド古来の神様の多くを仏教に取り込み、仏像としてまた仏像を守るの神として伝えられましたが阿修羅も守護神「天部」の一人でインドの神は「アスラ」です。

 

アスラはインドの神々の中心の神「インドラ」に勝つことができないが、闘いを挑み、闘い続けている魔神です。仏教ではインドラが「帝釈天」でアスラが阿修羅となってそれぞれ「眷属(けんぞく、従者)を従えて、闘いを続けます。

 

阿修羅はどうしても勝てなく、救われない宿命にあり、闘うことの苦しみを負うことになります。これが一種の業(カルマ)となり、六道の世界のひとつになっているということです。
【業(カルマ):行った行為が因果の道理によって後々、必ず報いを生むこと】

 

興福寺にある阿修羅像は釈迦三尊像の守護神「八部衆」の一人として十大弟子梵天帝釈天、四天王とともに設置されています。ここに立つ阿修羅は仏教に帰依し、温和顔で釈迦を守っています。このような温和な顔の阿修羅像は興福寺法隆寺にある例外的な仏像でほとんどの阿修羅像は怒りの形相をしているそうです。

 

それゆえに阿修羅のイメージから浮かびもしない柔和な顔、三面六臂(さんめんろっぴ)の特異な姿に引きつけられているのだと思います。