三つの宗教、五つの民族、六つの共和国を持つ旧ユーゴスラビアの分裂状況

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2月17日にハンガリールーマニアブルガリアに接するセルビアの南部にアルバニア系住民のコソボ自治州がありますがこのコソボ自治州の政府はセルビアからの一方的な独立を宣言したというニュースが翌18日に新聞、テレビで流れました。

 

ユーゴスラビアユーゴスラビア社会主義連邦共和国)は「一つの国家、二つの文字、三つの宗教、四つの言語、五つに民族、六つの共和国、七つの国境線」と言われ、チトー大統領の強力な指導力で五つの民族が共存してきました。

 

しかし、1980年チトーが死んだ後から徐々に瓦解し始め、そして1991年のソ連崩壊とともに旧ユーゴスラビアも解体され、連邦共和国はばらばらになり、独立を希望する民族と反対する民族が幾つかの共和国内で武力衝突を起こし、内戦にまで発展しました。そして、独立を勝ち得なかった地域の民族は今でも根強い不満を持ち続けているようです。

 

これまで、日本の明石国連特別代表が旧ユーゴスラビアボスニア・ヘルツゴビナの内戦収拾に行ったことはかすかに覚えてはいますが旧ユーゴスラビア紛争は複雑すぎていつ新しい国ができ、現在どういう状況なのかよくわかりません。

 

三つの宗教、五つの民族、六つの共和国を持つ旧ユーゴスラビアが1991年解体した後どのような国に分裂していき、現在に至ったか調べてみました。

 

【旧ユーゴスラビアの2008年2月17日の分離独立状況】
スロベニア共和国(1991)、②クロアチア共和国(1991)、
マケドニア旧ユーゴスラビア共和国(1991)④ボスニア・ヘルツェゴビナ(1992)、
モンテネグロ(2006)、⑥セルビア共和国(2006)、⑦コソボ(2008)

 

【旧ユーゴスラビアの建国と維持】
1945年、チトー大統領のもとユーゴスラビア社会主義連邦共和国を建国
二つの文字:ラテン文字キリル文字
三つの宗教:カトリックセルビア正教イスラム
四つの言語:スロベニア語、セルビア語、クロアチア語マケドニア
五つの民族:スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、マケドニア人、モンテネグロ
六つの共和国:1スロベニア、2クロアチア、3マケドニア、4ボスニア・ヘルツェゴビナ、5モンテネグロ、6セルビア(2つのヴォイヴォディナ自治州、コソボ自治州を含む)
七つの国境:イタリア、オーストリアハンガリールーマニアブルガリアギリシアアルバニア

 

1980年チトーが死去すると各国の少数派民族や少数派宗教の人は不当な差別を受けていると不満が噴出し、民族・宗教間で互いに自由と独立の論争が沸き起こりました。

 

1990年自由選挙が実施され、各共和国に民族の強い政権が誕生しました中でもミロシェビッチ率いるセルビアセルビア民族の権限を拡大していき、イスラムアルバニア系住民が多数占めるコソボ自治州自治権を取り上げ、紛争の元を作っていきました。

 

コソボセルビア人にとって聖地でもありました。1389年セルビア王国オスマントルコ帝国の侵略を受けコソボの戦いで敗北し、オスマントルコ支配下におかれました。そして、大部分の人々はセルビア正教からイスラム教に改宗していきました。しかし、セルビア正教を信じる人達はあくまでもコソボセルビア正教の聖地であるわけです。

 

その後、イスラム教のアルバニア人が住み着き、コソボアルバニアイスラム教徒が多数派しめる地域になりました。セルビア民族主義イスラム教徒に占領されている現状に長年の恨みが鬱積していたのです。

 

【旧ユーゴスラビアの解体】
1991年6月①「スロベニア共和国」と②「クロアチア共和国」は旧ユーゴスラビアからの独立を宣言します。それに怒ったセルビア共和国ユーゴスラビア連邦軍として両国を攻撃し、内戦が始まりました。

 

この内戦にヨーロッパが調停に入り、スロベニアの紛争は収まりました。その一方で独立したクロアチア国内の少数派のセルビア人はクロアチアからの独立を求め抗争を起こします。

 

そして、これから際限なく引き起こされる旧ユーゴスラビアの民族紛争が始まったのです。

 

マケドニア」も1991年、③「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」として独立しました。

 

1992年3月「ボスニア・ヘルツェゴビナ」が独立宣言をします。しかし、連邦離脱を反対するセルビア人勢力と独立派のクロアチア人、イスラム教徒と内戦が始まります。このボスニア・ヘルツェゴビナ紛争ではセルビア人が連邦軍の支援をうけ支配地域を広げ、武力で鎮圧しようと中には虐殺行為も行われました。

 

こうした行為に国際的非難が高まります。1995年8月NATO軍はクロアチアセルビア武装勢力に対し、空爆を開始しました。1995年11月アメリカの調停でボスニア和平協定が調印され、ボスニア・ヘルツェゴビナ統一国家として存続し、当面、国連の平和維持軍が駐留することで合意されました。

 

1992年4月に「モンテネグロ」と「セルビア」は(新生)「ユーゴスラビア連邦共和国(新ユーゴ)」を樹立しました。

 

1999年2月コソボアルバニア系住民とセルビア人の対立が激化し、セルビア人のアルバニア系住民の虐殺・追放を阻止するため、3月NATO軍の新ユーゴ空爆を始めます。

 

1999年6月空爆停止、「コソボ」は「国連による暫定統治下」に入りました。

 

2000年10月、新ユーゴのミロシェヴィッチ大統領は再選を目指し国民投票を行ったが選挙不正に怒った国民の抗議により退陣しました。そして、コソボ紛争でのアルバニア系住民の虐殺の責任者として人道に対する罪で起訴され、オランダ・ハーグの国際戦犯法廷におくられました。

 

2003年セルビアモンテネグロからなる(新生)ユーゴスラビア連邦共和国は3年後の独立を目指し、「セルビア・モンテネグロ」にかわりました。

 

2005年10月コソボの将来の地位確定のため国連安保理決議が採択され、11月交渉が開始されました。

 

2006年6月「モンテネグロ共和国」は独立し国名が④「モンテネグロ」と変わり、「セルビア」は⑤「セルビア共和国」として再出発したのです。

 

2006年10月セルビア国民投票の結果を受け「コソボを不可分の地方」とする憲法を承認。
2007年2月セルビアは国連が勧告したコソボ実質的独立案を拒否。
2007年8月米・露・EUの仲介で最終地位協定交渉を開始
2007年12月最終地位協定交渉失敗

 

2008年2月4日セルビア大統領選挙が行われ親米派のタディッチ氏が再選されました。タディッチはコソボの独立には反対ではあるが強硬手段はとらないといわれていました。

 

2008年2月17日セルビア自治州の⑥「コソボ」は独立を宣言しました。

 

コソボ独立はEU、アメリカが支持しているがロシアは反対しています。コソボ独立は世界中の分離独立運動を煽ることになるとEU内部で意見が分かれているといいます。

 

2月18日の読売新聞をみるとセルビアは強硬手段はとらないものの外交手段と物量や電力供給停止などの経済制裁を打ち出すと伝えていました。アメリカ,EUはどのような救済策をとるでしょうか日本にも応分の支援を要請してくるかもしれません。

 

【参考】
(1)「欧州地域情報」、外務省ホームページ各国地域情報、外務省
(2)「ニュースがわかる世界地図2006年版」、(株)小学館、2005.10
(3)「ユーゴスラビア」、フリー百科事典「ウィキペディアWikipedia)」
(4)「旧ユーゴ紛争」、そうだったのか現代史、池上彰集英社、2005年7月
(5)「コソボ独立の記事」、読売新聞、2008.2.16、17、18、19
(6)「コソボ独立の記事」、AFPBBニュースサイト、2008.2.18