天才絵師3人が描いた国宝「風神雷神図屏風」の比較展示

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9月16日に出光美術館で「国宝 風神雷神図屏風」(9月9日(土)~10月1日(日))を見てきました。

江戸時代の絵師 俵屋宗達尾形光琳酒井抱一(ほういつ)がそれぞれ描いた作品「風神雷神図屏風」が一堂に会したことはこれまで三回しかなく(明治36年、昭和4年、昭和15年)、三回目から実に、66年ぶりの開催ということで沢山の人が訪れておりました。

俵屋宗達が江戸時代初期(17世紀前半)に描き、現在、京都の建仁寺が所蔵する国宝「風神雷神図屏風」と
尾形光琳が江戸時代前期(18世紀初)に描き、現在、東京国立博物館所蔵の重要文化財風神雷神図屏風」と
酒井抱一が江戸時代後期(1821年頃)に描き、現在、出光美術館所蔵の「風神雷神図屏風」は
それぞれ、屏風の左に雷神、右に風神が目一杯描かれ、私には迫力あるマンガチックな絵に見え、いっそう好きになりました。

教科書や普通の美術の本には俵屋宗達の「風神雷神図屏風」一つしか載っていないので、全く同じ絵が3つもあり、それも国宝級の作品であるということを月間出光の紹介記事を読むまで知りませんでした。

美術館の説明書きによると、俵屋宗達は北野天神縁起絵巻の菅原道真の怨霊をモデルにし、妙法院三十三間堂の風神・雷神の彫刻も参考にして描いたと説明していました。

尾形光琳宗達を写すことで様式を学び大成し、燕子花(かきつばた)図屏風やや紅白梅図屏風など多くの傑作を残しました。

酒井抱一は多くの画風を学んで、光琳の画風に辿りついたというように説明されていました。

宗達光琳と抱一の違いを詳細に分析し、比較した資料が展示されており、こちらにも興味がありました。

宗達光琳の絵の輪郭はほぼ一致してしており、光琳と抱一の絵の輪郭は微妙にずれていることが透明シートで重ね合わせて鑑賞者が分かるように展示されていました。

輪郭は全く同じですが、顔、目、手足、髪、天衣(帯状の布)など細部は、3作品を部分比較して展示しており、絵師により、オリジナルを伺わせる違いが分かりました。

当時は琳派といわれる芸術において傑作を模写し、学習し、自らをその流派を継承すると主張し、自他ともに認めさせるという過程があったと説明されていました。

天才が模写したこの3作品の違いを素人である私が区別できないのは当然あると思いました。