トルコのEU加盟交渉の凍結

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今日の毎日新聞にトルコのEU(欧州連合)加盟交渉はキプロス問題で一部凍結していると載っていました。

トルコ政府は1987年にはEC(欧州共同体)加盟の申請を行っていたが進展せず、1993年EU(欧州連盟)発足後も進まず、2005年にようやく加盟交渉が開始され、進行中でした。

トルコ系住民が住む北部とギリシャ系住民が住む南部に分断されているキプロス問題で、既にEU加盟している南部のキプロス共和国をトルコは承認していません。

そして、キプロスの船舶・航空機のトルコ入国を拒んでおり、EUの求めに対しても一部の譲歩の意向しか示していなく、トルコはEU加盟基準に達していないというのが凍結の原因のようです。

トルコのEU(欧州連合)加盟は、ヨーロッパとイスラムの架け橋として大いに期待されていました。

ヨーロッパ諸国はトルコがEUに加盟することで自国のイスラム系住民の不満を解決するきっかけをと作ろうとしていましたし、トルコのEU加盟実現を社会改革の大きな原動力になっていました。

数百年間の間繁栄を誇ってきたオスマン・トルコは第一次世界大戦でドイツに味方してやぶれました。

屈辱的な講和条約に反対して、トルコ国民党を指導するケマル・アタチェルクがトルコ革命を起こし、1923年に共和国を建国し、初代大統領になりました。

それ以来、トルコは政教分離の西欧的世俗主義を国是として、第二次大戦中は中立を守り、近代化の道を歩んできました。

最近、キプロスやフランスの閣僚や欧州の一部のキリスト教徒から反対の声が上がっております。

またトルコ国内でもイスラム主義極右のEU加盟反対者が増えてきているそうです。

最も、危険なのはアタチェルクの近代化を継承していると自負しているトルコ軍の政治介入だそうです。2006年10月、建国の父「ケマル・アタチェルク」の肖像の前でトルコ海軍の司令官は「軍は決してEUのためにトルコ的価値観をおろそかにしない」と意味深な発言をしました。

極右と軍の反EU派が手を結び、EU連合加盟交渉を決裂させ、「イスラムと近代化の融合」が失敗するようなことのないように今後のトルコ政府の対応が注目されます。