トルコ政府は1987年にはEC(欧州共同体)加盟の申請を行っていたが進展せず、1993年EU(欧州連盟)発足後も進まず、2005年にようやく加盟交渉が開始され、進行中でした。
そして、キプロスの船舶・航空機のトルコ入国を拒んでおり、EUの求めに対しても一部の譲歩の意向しか示していなく、トルコはEU加盟基準に達していないというのが凍結の原因のようです。
ヨーロッパ諸国はトルコがEUに加盟することで自国のイスラム系住民の不満を解決するきっかけをと作ろうとしていましたし、トルコのEU加盟実現を社会改革の大きな原動力になっていました。
またトルコ国内でもイスラム主義極右のEU加盟反対者が増えてきているそうです。
最も、危険なのはアタチェルクの近代化を継承していると自負しているトルコ軍の政治介入だそうです。2006年10月、建国の父「ケマル・アタチェルク」の肖像の前でトルコ海軍の司令官は「軍は決してEUのためにトルコ的価値観をおろそかにしない」と意味深な発言をしました。
極右と軍の反EU派が手を結び、EU連合加盟交渉を決裂させ、「イスラムと近代化の融合」が失敗するようなことのないように今後のトルコ政府の対応が注目されます。