スリランカについての超概略

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Kさんにお聞きした後、スリランカ紛争について書いた文を読んでいただき、了解を得て、昨日ブログに登録しました。

また、スリランカの国概要や地理なども教えてただいたので、それと資料を見て超概略まとめました。

スリランカの超概略】
スリランカはインドの南東から40キロ弱のインド洋の島で1972年(昭和47年)までセイロンと呼ばれていました。

東西交通の拠点であるため、古くから中東や東アジア、ヨーロッパの商人、征服者、殖民者がやってきました。

民族で一番多いのが先祖が北インドからやってきた74%を占める仏教徒のシンハラ人、次に南インドから侵入してきた18%のヒンデュー教徒のタミル人、そのほかイスラム教のムーア人、マレー人、ヨーロッパ人とシンハラ人の混血などがおります。

公用語シンハラ語タミル語

首都:スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ

大統領:マヒンダ・ラジャパクセ

首相:ラトナシリ・ウィクラマナーヤカ

面積:北海道の8割

人口:2004年1990万人

GDP:2005年、世界第77位、223億ドル

【超概略史】
紀元前5世紀以前、原始的な焼き畑農業を営むヴェッタ人が住んでいた。

紀元前5世紀後半、シンハリー族が北インドから渡り、ヴェッタ人を征服し、王国をつくった。

紀元前3世紀、インドのアショーカ王の王子マヒンダが仏教を伝え、仏教が栄え、仏教美術も栄え、その伝統が後世に受け継がれている。

紀元後5世紀以前、1000年の間にタミル族がしだいに住みつくようになった。

8世紀後半、タミル族におされ、シンハリ王朝はポロンナルワに都を移した。その後、タミル族とシンハリー族の勢力争いが続いた。

1505年、ポルトガル人が南西の港に来航し、コロンブスの名をとったコロンボを建設した。

17世紀、オランダ人がポルトガル人を追い出す。

1796年、イギリスがオランダを追い出す。

1815年、全島を領有、紅茶、ゴム、ココナッツのプランテーションの開発、経営。ヨーロッパにセイロン紅茶が広がる。(イギリス側が労働者として南インドのタミル人も多く雇用)

1948年、イギリスのインド撤退政策の一環として、イギリス連邦内の自治国として独立。

1972年、国名をセイロンからスリランカ社会民主主義共和国に改称。

1978年、議院内閣制から大統領制に移行

1984年、コロンボからその南東15kmに位置するスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテへ遷都

世界文化遺産と自然遺産】
1.聖地キャンディ:文化遺産:登録年:1988年

2.古代都市シギリヤ文化遺産:登録年:1982年

3.古代都市ポロンナルワ:文化遺産:登録年:1982年

4.ダンブッラの黄金寺院:文化遺産:登録年:1991年

5.聖地アヌラーダプラ:文化遺産:登録年:1982年

6.ゴール旧市街とその要塞群:文化遺産 登録年:1988年

1.シンハラジャ森林保護区:自然遺産:登録年:1988年

【輸出作物】
紅茶やゴムは中央の湿潤地帯の高原とその周辺にある大農園(プランテーション)で作られている
ココナッツは南西部の沿岸地帯で作られ、果実は飲料、中果皮の粗い繊維はバッグやマットの材料になる。

【鉱物】
鉱物資源は乏しいが黒鉛、チタン鉄鉱、工業用と宝石に使われるジルコン、石灰石がある。
ラトナプラ市周辺の谷間はサファイヤ、ルビー、アクアマリン、ムーンストーン、トパーズなどさまざまな宝石を産出する。
また陶磁器の材料となるカオリンを産し、製陶工業も盛んである。

【繊維工業】
繊維工業が盛んで経済成長の要因の一つになっている。

全業種にわたる20あまりの大規模な会社はすべて国営ですが、現在、年8%で経済成長を続けています。

【参考】
1. 目で見る世界の国々-20、「スリランカ」、国土社、1994年
2. 国際紛争の本2「アジアの紛争2」岩崎書店、2004年