日本の失敗の歴史「満州国建国」と「満洲で暮らした人達の思い出」

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3月31日の読売新聞の第一面に2004年5月自殺した在上海領事館事務員は「中国の情報当局から外交機密を強要された」という総領事宛の遺書を残していたと報道していました。

中国は東シナ海日中中間線付近で、石油ガス田を日本の了解なしに、開発し、生産を開始しています。

最近、中国は国力の増加とともに、かつての日本が犯した隣国・世界との調和・友好を考えずに自国の利益のみで行動しようとしているように思えてなりません。

今でこそ、「かつての日本」は馬鹿なことをしたと日本国民であればだれでも思いますが、一党独裁、不完全な言論の自由、偏った教育がなされ、大部分の国民は大きな流れに逆らうことすら気がつかず間違った方向に流されて行ってしまったわけです。(実際はこんな単純なことで説明がつかないとは思いますが)

最近の中国の動きもかつての日本に似てなくもないです。中国は靖国問題を取り上げ、日本を責めるのをやめて、日本の失敗の歴史を認識し、同じ道を歩まないような行動をとり、仲良くして行こうと言いたいです。

このような意見は新聞・テレビをみれば誰でも思うことで僭越とは思いましたが、私も一言、言わせてもらいました。

ついでに日本の失敗の歴史「満州国の建国」と「満洲で暮らした人から聞いた話」を載せてみます。

1928年(昭和3年)頃から不況や大恐慌のあおりを受け、日本は苦しく、既に日露戦争で獲得した権益を持つ満洲に多くの日本人が移民しました。

1931年(昭和6年)柳条湖の南満州鉄道線路上での張作霖爆殺事件が引き金になり、満洲事変を起こし、満洲全土を占領しました。

日本政府の意向を無視した関東軍の謀略によるものと言われています。

そして、政府も軍部の力に押され、侵略は拡大の方向に向います。

そして、1932年、五族協和と王道楽土のスローガンを掲げ満州国を建国しました。

当時の政府や軍部は他国の民族の権利を無視していたが、日本国民は軍国教育を受けたものの、スローガンと民族との友好を信じ、王道楽土を求め満洲に移民していきました。

私の知っている絵の先生や大学で習った先生や会社のトップだった人も満洲にわたり、生活し、引き上げています。

二度と戦争はごめんと口を揃えていう一方、ロシアが残した洋風の町並みの大連での生活や旅順工大を卒業し、満鉄(南満洲鉄道株式会社)で石炭の生産・液化、石油の精製などの仕事の話や広大な地平線に沈む赤い夕陽は忘れられないなど楽しく・充実した時期の話を聞きました。

そして、満鉄で働いていた技術者や研究者が日本に引き上げ、大学、研究所、企業に入り、戦後の日本の復興に大きな貢献をしています。

当時の満洲の現地の人は生活に困っている人が多く、家庭や満鉄で多くの現地の人を雇用していたのでそういう人や近所の人たちは友好的で、引き上げるときは助けてもらったといって言っていました。

 

日本は戦争という間違いをおかしましたが、一般庶民はこういう平和な一面もあったということです。

もちろん、そうでないことがこれ以上にあったことも知っているつもりです。

【記録に残したい残念な例】

米沢高等専門学校を出た母の弟は赤紙で召集され少尉で終戦を迎え満州で中国兵に拘束されました。

しかし、母の弟はたばこを吸わないので配給された煙草はいつもまわりの満人にくれていたので彼らはこの人は良い人と嘆願してくれたおかげで捕虜収容所行きをまぬがれたと叔母が話してくれました。

しかし、帰還してまもなく感染症結核で亡くなってしまいました。残念です。


【参考】 南満洲鉄道株式会社:日本の植民地経営機関で鉄道と炭鉱の経営を中心に70の関連会社や巨大な調査機関(シンクタンク)を持っていた。