返還前の沖縄渡航

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家内の姉の主人T・Mさんが昨年2005年(平成17年)12月定年退職しました。子供たちから、退職のお祝いをもらい、3月上旬、夫婦でハワイ旅行をするということで、私達夫婦も誘われ、参加することにしました。

海外旅行は2000年(平成12年)に社内旅行で2泊3日の香港に行ったのが初めですが、旅をエンジョイする目的での海外旅行は今回が初めてです。

ただ、日本に復帰前の沖縄旅行に行ったことがあります。
1972年(昭和47年)5月に沖縄が日本に返還されましたが、その6年前の1966年(昭和41年)3月、友人の父が沖縄出身の方で春休みを利用し、親戚に合いに行くということで同行しました。

当時のメモをもとに記述してみます。
パスポートならぬ身分証明書を発行してもらい、種痘を受け、9日(沖縄9日+往復の交通など9日)の旅で45ドル(360円×45ドル、実際の交換レートは359円)を日本円16,155円に交換しました。
(当時、学卒の給料が1万8千円ぐらいだと思いますので。現在、20万円とすると18万円ぐらいと思われます。)

1966年(昭和41年)
3月28日山形県小国町を午前6時出発8時30分米沢着
3月28日午前10時15分発の第一蔵王で上野へは15時50分に着く。友人M・F君が住む板橋の下宿に一泊する。
3月29日12時30分MF君の友人Mさんと合流し3人で東京駅から急行霧島に乗る。
3月30日11時10分熊本に着く。観光バスに乗り阿蘇を観光する。
3月31日午前1時20分急行「はやと」に乗る
3月31日午前6時鹿児島に着く
午前9時、琉球海運に切符を買いに行く。身分証明書、予防接種証明書を提示し切符を購入した。鹿児島那覇間は二等で片道3,500円だった。出航は明日に延期になり、名城大学の学生と知り合い、4人で鹿児島大学の寮に泊まった。

4月1日17時ひめゆり丸(2640トン、乗客555名)は鹿児島港を出航した。汽笛が鳴り、テープが投げられ、蛍の光が流れる中、ひめゆり丸は静かに岸壁を離れた。
二等船室は甲板から下2階の12人がごろ寝できる升状の部屋である。このような升が8個あり、我々は後方の升でした。
那覇まで18時間かかるので食事が出て食べましたが、途中、船に酔ってしまい、全部はいてしまうほど、苦しい思いをしました。

4月2日11時過ぎ、無事那覇港に到着、M・F君のおじいさんと叔父さんの家族が迎えにきてくれていた。
日本では珍しいアメリカ車シボレーという車に乗り、おじいさんの家に行き、大歓迎を受けました。

山形県小国町をでて、途中観光をしましたが、4日かかりようやく沖縄つきました。わたしは4日間F・M君の親戚の家に泊めていただき、あとの5日はユースホステルにとまり、沖縄を見てまわりました。