2022年8月24日1日感染者ピーク20万人から10月11日2万6千人まで減少、10日遅れて1日死亡者ピーク293人から10月11日62人まで減少

コロナ1日感染者数推移グラフ

コロナ1日死亡者数推移グラフ

コロナ感染入院死亡推移グラフ

ワクチン接種状況表

国内のコロナ感染は2022年8月24日の1日感染者20万人(7日間移動平均)をピークとして減少に転じ、48日間減少を続け、10月11日に1日感染者は2万5,600人(7日間移動平均)まで減少しました。

 

コロナ感染による死亡は感染のピーク8月24日から10日遅れの2022年9月3日の1日死亡者293人(7日間移動平均)をピークとして減少に転じ、38日間減少後の10月11日に1日死亡者は62人(7日間移動平均)まで減少しました。

 

ようやく日本も安定してコロナ感染減少を続けています。

 

10月11日から外人観光客の入国制限が完全撤廃され、国民向けの全国旅行支援や娯楽支援もスタートしました。こんどこそ、感染が増加することなく、コロナ収束が確実になる安全圏内に入ることを祈ります。

コロナ累積感染者数推移グラフ

コロナ累積死亡者数推移グラフ

 

10月の暦「スポンジボブのゲーム お化け船長の墓場」の一場面と9月23日の秋分の日について

スポンジボブとお化け船長

【10月の暦】

10月カレンダーの絵はスポンジ・ボブのアドベンチャーゲーム「お化け船長の墓場」の一場面です。

 

【9月の暦】

yaseta.hateblo.jp

冒頭に記載したカレンダーは10月の暦ですが今日は2022年9月23日で二十四節気の第16節気「秋分の日」です。

秋分の日は昼と夜の長さが同じになり、徐々に昼の長さが短くなり12月22日の冬至の日は昼が最も短くなります。

 

秋分は瞬間を指すこともあればそこから始まる期間を指すことがあります。

yaseta.hateblo.jp

厳密には太陽が秋分点(太陽黄経180度)2022年9月23日10時04分を通る瞬間から秋分が始まり、そこから太陽が寒露点(太陽黄経195度)2022年10月8日16時22分に到達する寸前までの期間を秋分ということになります。(参考1)

 

暦では太陽が秋分点を通過する日9月23日を秋分の日として、そこから秋分が始まり、寒露点に到達する前日の10月7日までの15日間を秋分と言います。

 

二十四節気の各節気約15日間をさらに三等分した約5日間の季節七十二候があり、秋分の各候は以下になります。

 

二十四節気

第16節気 秋分  9/23~10/7

(七十二候)

            第46候  9/23~9/27  雷すなわち声を収む

            第47候  9/28~10/2  虫かくれて戸をふさぐ

            第48候  10/3~10/7  水始めて涸るる(枯れる)

 

【参1.国立天文台2022年暦要項より

名称  太陽黄経     中央標準時

分   180度    2022年9月23日10時04分

寒露   195度    2022年10月8日16時22分

お雇い外国人ダラス・リング傷害事件と米沢牛について

米沢牛を世に広めたダラスの食生活

お雇い外国人の業績表1

お雇い外国人の業績表2

【はじめに】

欧米の圧力に危機感を抱いた開国間もない明治政府にとって近代化は国運をかけた重要課題でありました。

 

欧米の進んだ文化や科学技術を取り入れるため、明治政府は1870(明治3)年から1889(明治22)年までに官公庁、自治体、官営企業、私企業、個人合わせ2,690人にもおよぶ外国人学者・専門家・職人を招聘し、国の制度、法律、哲学、語学、文学、美術、音楽、物理、電気、機械、化学、生物、医療、農業、建築、土木、軍事などの理論・技術教育に加え、鉄道建設・造船建設、港湾建設、鉱山開発、公共事業など各産業分野で指導を受け、実際に建設など実践を通して知識・技術を獲得して行ったのです。(*1)

 

日米和親条約締結頃からアジア情勢、軍事、造船・操作技術などを習得するため、高額な報酬で招聘した外国人顧問や技師を江戸幕府や藩が「お雇い外国人」と呼んだのが始まりと言われています。

 

明治政府のお雇い外国人と具体的な業績を調べ表にまとめてみましたがこれは一部であり、これを見ただけでも彼らが日本の近代化にいかに大きく貢献したか認識するとともにその名残は150年経った現在でも身近なところに残っていることに気がつきました。

 

一つは1993(平成5)年から2014(平成26)年まで3回にわたり合計12年間法政大学経済学部で非常勤講師としてお世話になりましたが本部の市ヶ谷キャンパスのにあるボアソナードタワーは法政大学の原点である東京法学校の設立に尽力したお雇い外国人のフランス人法学者ボアソナードを記念して建てられものでした。

 

また、現在、私のランニング場所の一つであり、野田市流山市の境を流れる利根川と江戸川を結ぶ利根運河はオランダ人土木技師であるムルデルが指揮を取り開削したものでした。

 

もう一つは私のふるさと小国郷村(現在の山形県小国町)を通る旧越後米沢街道の越後口の「沼」で行われた明治元年戊辰戦争の戦いに上杉藩が敗れ降伏して間もない、明治4(1871)年1月に米沢の上杉藩の藩校「興譲館」に洋学舎が設立されました。

yaseta.hateblo.jp

米沢興譲館洋学舎に教師としてお雇い外国人がやってきて宿舎の庭に食用として牛を数頭飼いました。

そしてこれまで四つ足を食べることはとんでもないことだと思っていた米沢の人々をビックリ仰天させたと言われています。

これが文明開化の一つとして認識され、米沢では全国に先駆けて牛鍋が食べられるようになったという話を米沢興譲館高校時代に下宿していた明治生まれの女医さんに聞きました。(一つ上の兄は当時60歳代の女医さん宅に昭和34年4月から昭和37年3月まで、私は昭和35年4月から昭和38年3月まで下宿しました。女医さん宅は上杉藩名残りのある町名「代官町」にありました。当時の米沢の町名として他に、本五十騎町、片五十騎町、御膳部町、北寺町、東寺町、座頭町、木挽き町、木場町、免許町、番匠町などがありました。)

(四つ足といても山国の小国では熊やウサギの肉など食べていたと思われます。当時の日本において牛は大事な働き手だったので市場に出る肉牛は少なく、牛肉を食べる人は裕福な人など限られた人と思います。その後徐々に、置賜地方では東京・横浜などへの出荷用として牛を飼育するようになり、米沢牛として知られるようになりました。私の親戚も昭和47年横川ダム完成で市野々集落が沈む前まで小牛を三重県松坂へ出荷していたと聞いています。)

 

【ダラス・リング傷害事件と米沢牛

1870年(明治3)5月、大学南校(現東京大学)に語学教師として雇われたイギリス人チャールズ・ヘンリー・ダラスとリングはそれぞれ1戸建ての官舎を与えられ、そして英語習得のためそれぞれ深沢要橘(ようきつ)と小泉敦が同居していました。

 

11月24日の晩、日本橋でリングの妾(めかけ)を拾い提灯を持った小泉を先頭にリングと妾(めかけ)が手つなぎ真ん中に、しんがりはダラスで一行はダラスの妾(めかけ)の住まいに向かいました。途中、神田須田町付近の屋台店が並んでいるところで、ダラスがいきなり背中を斬られ、続いてリングも背中を斬られました。

(当時、外国人の妾(めかけ)のことを洋妾(ラシャメン)と読んでいました。)

 

このとき、小泉は現場から逃げ帰り、そ知らぬ顔をしていましたが事件が大々的に報じられると小泉は外国人に妾を世話したり、現場から逃げ去ったことで男の風上にも置けない奴と非難され、大学を免職になりました。

 

捕まった犯人は取り調べに対し“皇国の婦人を夷狄(いてき)が引っ張って行くのは許せないので斬りつけた”と自白しました。

なんと、犯人の一人は関宿藩士(現在の野田市関宿)の黒川友次郎という男でした。(参考5)

 

ダラスとリングは重症を負ったものの一命を取り留め、二週間後には口が聞けるようになりました。後ろめたさがあったのか二人は犯人の助命を希望しましたが、翌年、犯人は斬罪(ざんざい)、黒川は10年の刑に処せられました。そして、ダラスとリングは療養中に大学から解雇されてしまいした。

 

重症を負わせたのは日本に非があり、また優秀な先進国の外国人教師から学ぶ機会を逃す手はないと傷が癒えた29歳のチャールズ・ヘンリー・ダラスを招聘したのが米沢の興譲館洋学舎(現在の山形県 米沢興譲館高校)で1871(明治4)年10月のことでした。

 

こうしてダラスは1871(明治4)年10月から1875(明治8)年2月まで米沢興譲館洋学舎で英語、文法、代数、幾何学、経済学、地理、歴史を教え、スポーツはクリケット、高跳び、器械体操などを紹介しました。日本語、米沢弁を覚え、米沢人と交流を深めたといわれています。(参考4)

 

彼は在職中、飯豊村から牛を数頭買い、敷地で飼育し、料理人萬吉に命じ、ビーフ・ステーキや焼き肉や米沢の野菜を入れた牛鍋などを食べていました。

そして、退職後の1875(明治8)年3月、米沢離任に際して牛1頭を連れて横浜の居留地に帰り、仲間とパーティを開き、食べさせた所、美味しいと評判を呼び米沢の牛が世間に知られるようになったといいます。(参考4)

 

ダラスは米沢を離れるに当たり、牛肉文化を米沢に残してもらうため、萬吉に資金を提供し、牛肉店「牛万」を開業させたといいます。(参考4)

 

ダラスは横浜の居留地に帰った後、日本アジア協会書記、公認会計士の仕事をしながら、欧米向け運送会社代理店、不動産斡旋業など手掛け、1885(明治18)年、上海に渡り、石炭、鋼鉄等の貿易に携わりました。

1894(明治27)年5月15日、上海で病没、享年53歳でした。

 

【参考】

1869(明治02年)年  大学南校、大学東校設置

1869(明治02年)年  開成学校(大学南校)、医学校(大学東校)設置

1877(明治10年)年 開成学校、医学校などを統合し、

東京大学(法学、理学、文学、医学の4学部)を設立。

1.「お雇い外国人①概説」、梅渓(うめたに)昇、鹿島研究所出版会、1968.4.30

2.「新詳日本史図説括弧」、浜島書店編集部、(株)浜島書店、1998.2.5

3.「お雇い外国人」、Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/

4.「米沢日報デジタル 」、http://www.yonezawa-np.jp/html/museum/11dalls.html

5.「大学南校英国人教師襲撃事件の関宿藩士黒川友次郎について」、レファレンス共同データベース、千葉県立中央図書館、2008.8.06

https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000065463

 

2021年12月から2022年8月までの世界の半月平均感染・死亡推移表

10万人当りの半月平均1日感染者数推移表

半月平均1日感染者数推移表

100万人当りの半月平均1日死亡者数推移表

半月平均1日死亡者数推移表

 

2020年1月から2022年8月までの日本新型コロナウイルス感染・死亡グラフ

日本コロナ累積感染者グラフ(2020年1月~2022年8月)

日本コロナ累積死亡者グラフ(2020年1月~2022年8月)

日本コロナ1日感染者グラフ(2020年1月~2022年8月)

日本コロナ1日感染入院療養死亡者グラフ(2020年1月~2022年8月)

日本コロナ1日死亡者グラフ(2020年1月~2022年8月)

 

2020年3月から2022年8月までの米国新型コロナウイルス感染・死亡グラフ

米国新型コロナウイルス累積感染者数グラフ(2020年3月~2022年8月)

米国新型コロナウイルス累積死亡者グラフ(2020年3月~2022年8月)米国

米国新型コロナウイルス1日感染者グラフ(2020年3月~2022年8月)

米国新型コロナウイルス1日死亡者グラフ(2020年3月~2022年8月)

 

2022年1月から8月までの日米新型コロナウイルス感染・死亡比較

日米コロナ感染率比較表

日米コロナ死亡率比較表

【日本の新型コロナウイルス変異株の感染流行の時期(概略)】

20217月~202110月:デルタ株

20221月~2022  3月:オミクロン株BA.1

20223月~2022  6月:オミクロン株BA.2BA.2.5

2022 6月~2022  8月:オミクロン株BA.5

オミクロン株BA.5の流行は減少しながら9月に入っても続行中

アメリカの流行は日本のそれより半月から1か月早い)

 

20221月から8月までの日米コロナ感染・死亡比較】

(1)アメリ

アメリカは202112月から20222月にわたりの新型コロナウイルスは変異株「オミクロン株BA.1」より感染が急増し、3回目ワクチン接種対応の遅れなどで「渡航を推薦しない高リスクを持つ国」としての「レベル3の179216人」(10万人当り101人以上)そして「半月平均1日感染者数70万人」を越える感染者を出しました。

 

渡航警戒レベルは CDC(米疾病対策センター)が定期的に公表するコロナ感染者の多さなどで渡航に警戒の勧告を行う一つの基準です。

 

アメリカの2022115日の「累積感染者数は6,492万人(国民感染率 19.79%)、10万人当り216人と最高値(半月平均)を出しました。

 

アメリカでは20211215日の段階で「人口に対する累積感染者数(国民感染率)」は15.23%に達しているのに対し、日本は国民感染率1.37%でした。

アメリカは「人口約3億人のうち5,023万人」が既に感染しており、日本は「人口約1億人うちの173万人」が感染していました。

 

結果、2021年12月後半から20222月前半までの2カ月間でオミクロン株BA.1によりアメリカは2,769万人」の感染者を出しました。

2022年1月後半から2022年3月前半までの2カ月間でオミクロン株BA.1より日本は「225万人」の感染者を出しました。

アメリカは人口約3億人なので1億人当りの感染者は923万人ですが日本は人口約1億人に対し225万人なのでアメリカの感染者は日本の4.1倍 でした。

 

20221月前半から20222月後半までの2カ月間でオミクロン株BA.1よりアメリカは死亡者を124,200人出しました。

2022年2月前半から2022年3月後半までの2カ月間でオミクロン株BA.1より日本は 死亡者を9,250人出しました。

アメリカは約1億人当りの死亡者は41,400人ですが日本は人口約1億人に対し9,250人なのでアメリカの死亡者は日本の約4.5倍でした。

 

オミクロン株BA.1により感染者も死亡者もアメリカは日本のおおよそ4倍の被害を受けました。

 

その後、流行したオミクロン株BA.2BA.2.5BA.5に対してアメリカは3回目、4回目のワクチン接種や集団免疫(感染率324%~829%を集団感染獲得に近いと筆者の独自判断)により、感染増加を低く抑えることができ、「2月後半から8月後半までアメリカ」は安全に近い「渡航警戒レベル1の10人から40人」(10万人当り50人未満)を維持して現在に至っています。

 

yaseta.hateblo.jp

yaseta.hateblo.jp

(2)日本

日本は20221月から3月にわたりアメリカと同様に新型コロナウイルスの変異株であるオミクロン株BA.1が流行、アメリカの「渡航警戒レベル3の179人~216人」(10万人当り101人以上)まではいかないが、3回目ワクチン接種の遅れなどで、「渡航警戒レベル6069人」(10万人当り50100人)を出しました。

日本の死亡者は2022年2月前半から3月後半までの「2カ月間の死亡者9,250人」と「過去1年間の死亡者(2020年と2021年の死亡者合計の2分の1)12,589人」の73%に当たる多くの死亡者を出しました。

*2020年1月から2022年1月までの累計死亡者218,39人

 

その後の日本の20223月から6月までのオミクロン株BA.2BA.2.5流行は「渡航警戒レベル1の1245人」(10万人当り50人未満)で抑え、第6波を乗り越えました。

 

しかし、20227月初め頃から重症化リスクは低いが強力な感染力を持つオミクロン株BA5により、感染が急増、第7波となって日本を襲いました。

yaseta.hateblo.jp

630日の日本の国民感染率は7.4%とアメリカの4分の1弱と低く、集団免疫効果ないのか「2回目ワクチン未接種の若者」や「3回目未接種の高齢者」を中心に感染が急拡大し、コロナ感染者は810日までにこれまでにない連日1日感染者数は20万人から25万人という多くの感染者を出しました。

 

その後、日本の1日感染者数は810日から16日の19万人まで減少しましたが816日に反転、再び上昇し、816日の1日感染者数は19万人から上昇に転じ、824日の23万人まで15,000人の割合で増加していきました。

やがて、824日の半月平均1日感染者数23万人をピークに19,000人の割合で減少し、831日に17万人になり現在に至っています。

 

20201月日本でコロナの感染が始まってから2022630日までの「26カ月間かけ930万人が感染」しましたが、20227月1日から831日までのわずか「2カ月間でこれまでの感染者数を上回る947万人」と最悪の感染者を出しました。

 

オミクロン株BA.5は感染力は高いが重症化リスクは低いというものの日本は感染者を連日約20万人発生していたので入院・重症者、死亡者もそれに対応して増加し、一時、医療を圧迫してしまいした。

 

6波のうちの2022年2月から3月までの「BA.1による感染者」は「2カ月間でプラス398万人」に対し、「BA.1による死亡者」は「2カ月間でプラス9,250人」です。

 

第7波の2022年7月から8月までの「BA.5による感染者」は「2カ月間でプラス947万人」に対し、「BA.5による死亡者」は「「2カ月間でプラス8,290人」でした。

 

結果、「第7波のBA.5」は「第6波のBA.1」の「2.4倍の感染者」を出していますが「死亡者は0.9倍」とBA.5BA.1より重症化リスクが低いことを実証しています。

 

6波やアメリカのBA.1の実績から感染ピークから約半月(約15日)遅れで死亡ピークを迎えるので第7波のピークアウトは9月前半と思われます。

 

831日現在、日本は「渡航警戒レベル3の127157人」(10万人当り101人以上)と高リスク国になっており、渡航を推薦しない国になっています。

 

【注意】

日本の感染・死亡ピークアウト時期は厚労省の感染・死亡データを利用した。

アメリカおよび日米感染・死亡率比較の感染・死亡データはWHOデータを利用した。なお、WHOデータは厚労省データより12日遅れている。

 

【参考メモ】

.アメリカ:20221月~2月のオミクロン株BA.1による累積感染者数

20211215日の累積感染者数:5,023万人(国民感染率 15.32%

10万人当り感染者数37人(半月平均値)

2022115日の累積感染者数:6,492万人(国民感染率 19.79%)ピーク

10万人当り感染者数216人(半月平均値が最高値)

2022215日の累積感染者数:7,792万人(国民感染率 23.76%

10万人当り感染者数73人(半月平均値)

1月~2月(2カ月間)の感染者数の増加:2,769万人

 

.アメリカ:202212月後半~2月前半のオミクロン株BA.1による累積死亡者数

20211231日の累積死亡者数:824,200人(国民死亡率 0.251%

100万人当り死亡者者数4.56人(半月平均値)

2022215日の累積死亡者数:922,500人(国民死亡率 0.281%)ピーク

100万人当り死亡者者数7.77人(半月平均値が最高値)

2022228日の累積死亡者数:948,400人(国民死亡率 0.281%

100万人当り死亡者者数6.08人(半月平均値)

1月~2月(2カ月間)の死亡者数の増加:124,200

 

.日本:20221月~3月のオミクロン株BA.1による感染者

20211215日の累積感染者数:173万人(国民感染率 1.37%)

10万人当り感染者数0.10人(半月平均値)

2021115日の累積感染者数:183万人(国民感染率 1.45%)

10万人当り感染者数5人(半月平均値)

2022215日の累積感染者数:398万人(国民感染率3.16%)ピーク

10万人当り感染者数69人(半月平均値が最高値)

2022315日の累積感染者数:581人(国民感染率4.61%)

10万人当り感染者数35人(半月平均)

1月後半~3月前半(2カ月間)の感染者数の増加:398万人

 

.日本:20227月~8月のオミクロン株BA.5による感染者

2022630日の累積感染者数:930万人(国民感染率 7.39%)

10万人当り感染者数37人(半月平均値)

2022815日の累積感染者数:1,562万人(国民感染率12.39%)

10万人当り感染者数162人(半月平均値が最高値)

2022831日の累積感染者数:1,877万人(国民感染率14.90%)

10万人当り感染者数156人(半月平均)

7月~8月(2カ月間)の感染者数の増加:947万人

 

.日本:20222月~3月のオミクロン株BA.1による死亡者

2022131日の累積死亡者数:18,760人(国民死亡率 0.015%)

100万人当り死亡者数0.17人(半月平均値)

2022228日の累積死亡者数:23,450人(国民死亡率 0.019%)ピーク

100万人当り死亡者数1.80人(半月平均値)

2022331日の累積死亡者数:28,010人(国民死亡率 0.022%)

100万人当り死亡者数0.87人(半月平均値)

2月~3月(2カ月間)の死亡者数の増加:9,250

 

.日本:20227月~8月のオミクロン株BA.5による死亡者

2022630日の累積死亡者数:31,270人(国民死亡率 0.025%)

100万人当り死亡者数0.17人(半月平均値)

2022815日の累積死亡者数:35,160人(国民死亡率 0.028%)ピーク

100万人当り死亡者数1.40人(半月平均値)

2022831日の累積死亡者数:39,560人(国民死亡率 0.031%)

100万人当り死亡者数2.19人(半月平均値)

7月~8月(2カ月間)の死亡者数の増加:8,290

 以上