キトラ古墳の四神の壁画と高御座(たかみくら)台座の麒麟の絵の関係

平成31年3月の絵

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令和元年10月22日、徳仁(なるひと)天皇陛下の即位を内外に宣明する「即位礼正殿の儀」が皇居宮殿で行われました。参列された世界180カ国の高官と日本国民により祝福されました。

 

天皇陛下が高御座(たかみくら)にお立ちになり、即位を宣明するおことばを話された時、その高御座の上部には鳳凰(ほうおう)の飾りが取り付けられ、下部の壇には麒麟(きりん)の絵が描かれているのに気がつきました。

 

そして、今年の1月から毎月、私のブログに絵をアップロードしていますが中国の古代思想の五行説由来の5獣とキトラ古墳壁画の四神の関係を描いた平成31年3月の絵が抜けていることに気がつきました。

 平成31年1月の絵

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700年頃に作られたキトラ古墳は1983年11月に奈良県明日香村で発見され、古墳の石槨(石棺)内部の東西南北の壁にそれぞれ青龍・白虎・朱雀・玄武の絵が描かれていました。(5獣のうちの麒麟は別の壁に描かれているかもしれませんが見つかっていないようです。)

 

送らばせながら「キトラ古墳壁画の4神の絵」をアップロードしました。

平成31年2月の絵

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 4月の絵(平成31年4月)

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【参考】

1.皇后の御張台(みちょうだい)の上部の飾りは雌(めす)の鳳凰の鸞(らん)で鳳凰とともに中国伝説の霊鳥だそうです。

2.「陰陽思想」は中国で紀元前(BC)2000年頃、作られ、「五行思想」はBC1900年頃の殷の時代に作られたと言われています。

中国最古の暦は紀元前1700年~紀元前1100年(殷の時代)の殷暦で十干と十二支を組み合わせた六十干支を日付に用いられ、1ヶ月30日、2ヶ月で六十干支が一巡する太陰太陽暦を作りました。

この頃、陰陽思想と五行思想が一緒になり陰陽五行思想(説)ができ、暦にも取り入れられました。

紀元前700年頃、太陰太陽暦の季節のずれを調整し、改良されました。

日本に初めて暦(太陰太陽暦)が入ってきたのは紀元後の西暦553年の欽明天皇の時代でした。

太陰太陽暦陰の伝来とともに、陰陽五行説など関連書物などもこの頃入ってきたと思われます。

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