もうすぐ「蛍の光」とともに2006年は過ぎ去っていきます

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夜7時から「第57回NHK紅白歌合戦」を見ています。

 

前川清の昭和44年(1969年)にヒットした「長崎は今日も雨だった」を聴き、会社に入社した頃を思い出し、ゴスペラーズの「ふるさと」を聴き、子供時代や今は亡き両親を思い出しました。

 

そのほか、懐かしい曲、良い歌が多くありました。

 

そして、平成18年(2006年)も終わりが刻々と近づいて来ています。もうすぐ、蛍の光の合唱が始まります。

 

蛍の光」と言えば、卒業式を思い出します。

 

蛍の光 窓の雪
書(ふみ)読む月日 重ねつつ
いつしか年も 過ぎのとを
明けてぞ 別れ行く

 

中国の晋の時代に、「車胤(しゃいん)」と「孫康(そんこう)」という貧乏だが勉学に抜きんでいた二人の青年がおりました。

 

晋の時代の上級公務員試験「科挙」に受験するために夜も勉強したいが、貧乏で灯油を買うことができません。

 

そこで車胤は、夏には蛍を捕まえ絹の袋に入れ、その蛍の光で勉強し、冬には孫康は窓辺に雪玉を作り、雪の明かりで勉強し、頭角を現し、名を上げました。やがて、官吏に抜擢され、出世を重ね、後に名をなす人物になりました。

 

この故事にちなみ、「蛍の光」は学問を志すの人応援歌として、「仰げばと尊し」とともに卒業式に歌われるようになったのだと私は思っています。

 

高校時代とっていた大学受験雑誌、旺文社の「蛍雪時代」にこの雑誌の由来とこの故事の説明がありました。

 

(ただ、「蛍の光」は明治時代につくられたため、三番、四番になると国に尽くせ、国を守れと直接的な言い方になっていますが、その道で立派になって国のため、人のために尽くせと解釈すれば良いと思います。)

 

私が大切に持っている1959年に販売されたL盤発売10周年記念「思い出のL盤ヒットパレード」には「蛍の光」と同じ曲でアメリカでヒットした「別れの曲」(Farewell Waltz)がありましたが、原曲はスコットランド民謡でイギリスからの移民が持ってきて、古くから歌われていたということでした。

 

日本ではこの曲は卒業式に使われ、またアメリカでは別れの曲として広く歌われているので、別離の時や終了の曲として使われるようになったのだと思います。

 

紅白歌合戦は白組のトリ北島三郎の「祭り」が終わりました。あとは結果そして「蛍の光」が始まります。

 

もう二度と帰ってこない平成18年(2006年)を「蛍の光」で決別し、そして、新たな気持ちで新年を迎えたいと思います。