昭和44年(1969年)4月、I社に入社して、山口県にある石油化学工場のエチレン装置に配属になり、我々、新入社員は現場の先輩社員に挨拶に行きました。
先輩社員の中のある一人にどこかであったような気がします、まさかあの時の人かなと一瞬おもいましたが他人の空似だろうと思ってました。
その人もこちらを見て首をかしげています。
自己紹介が私に回ってきて、名前と出身地を言ったとたん、彼は思わず声をあげました。あまりにも偶然の再会にびっくりしたそうです。
3年前、日本鋼管(現,JFEスチール)川崎製鉄所の工場実習で一緒になったYUさんでした。
それ以来、家族ぐるみの付き合いを続けています。
【追記】
昭和41年(1966年)の大学三年の夏休み、日本鋼管(現在JFEスチール)川崎製鉄所に工場実習に行きました。
川崎市鶴見区にある曹洞宗の総持寺の近くの旅館に三週間泊まり、額は忘れましたが、日当も支給されました。
当時は高度成長期にあり、鉄の需要も拡大していた時期で、日本鋼管は広島県福山に最新鋭の製鉄所を建設していました。
日本鋼管は東南アジアの大学から冶金工学等製鉄関係の工場実習生を受け入れ、国内の大学からは冶金、鉄鋼、機械、造船、化学工学など幅広く受入れておりました。
私は化工機械の設計部門で福山製鉄所で使用されるポンプの性能計算・検査する方法の指導を受けた後、ポンプ設計の手順書やチェックシートを作成するという標準化の実習でした。
そこで、大阪大学から来たYUさんと合いました。YUさんも化学系で化学製品タンクやポンプの設計に関する実習だったそうです。
我々学生に対して、ほとんどマンツーマンに近い形で日本鋼管の指導担当を付けていただき、親切で丁寧な指導にびっくりするとともに大変感激しました。
日曜日になると日本鋼管の指導担当の方々に我々実習生は箱根や湘南海岸にドライブにつれて行ってもらい非常に楽しい思いをしました。
(5月26日YUさんに確認したところ、当時の日本鋼管の懐の深さに今でもありがたく思っていると言っていました。)