京都妙法院三十三間堂の国宝「風神雷神像」について

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江戸時代初期の絵師 俵屋宗達は「風神雷神図屏風」を描くとき、13世紀前半の北野天神縁起絵巻の菅原道真の怨霊と鎌倉時代の京都妙法院三十三間堂の風神・雷神の彫刻を参考にしたそうです。

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何年か前、年賀状の挿絵に使うため、京都妙法院三十三間堂の風神・雷神の彫刻を模写したマンガを取り出し、昨日「風神雷神図屏風」を模写したマンガを比較したところ、風神と雷神の位置が逆になっていたので、調べてみました。

三十三間堂には等身大の千手観音像が一千一体も祀られており、そこに、仏界の最強軍団「二十八部衆」がそれら観音像を守っています。

風神・雷神が荒れ狂うと衣食住を壊滅してしまうので、仏界では悪神と認定し、退治するため、仏界が差し向けた二十八部衆と熾烈な戦いをします。

遂に風神雷神は降伏し、再チャレンジの機会を与えられ、仏教の守護神となりました。

三十三間堂では正面(東側)に一千一体の千手観音像を配置、そして「二十八部衆」のうち4体だけ東西南北に配置、他は裏手の西側に配置されています。

ところが、風神と雷神は千手観音像の前列で、南側(正面左側)に風神、北側(正面右側)に雷神が配置されています。

仏界の守護神として再雇用された風神雷神は平静な時、適度な風を起こしや雨の神を呼んでくれ、恵みを与えてくれますので守護神の中でも一目を置かれた実力者として認められ、重要な役割を与えられたに違いありません。

理由はわかりませんが、三十三間堂では左に風神、右に雷神を配置されていますので、風神雷神図屏風風神雷神の配置とは逆であることは確かです。