市川崑監督の死去と映画「ビルマの竪琴」の名場面

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2月14日の読売新聞で東京オリンピックの記録映画を撮った市川崑監督が死去したことを知りました。享年92歳でした。

 

私は市川崑監督については彼の作品「東京オリンピック」が当時、記録映画か芸術かなどとメディアに取り上げられ話題になったことで知るようになりました。

 

ビルマの竪琴」、「犬神家の一族」、「どら平太」、「木枯らし紋次郎」、は映画やテレビドラマを見たので知っていましたがこれらの作品は市川崑監督が作ったとは知りませんでした。新聞に載った監督の作品を見て自分の見聞のなさを恥入りました。

 

1956年(昭和31年)に「ビルマの竪琴」が国際的な賞を受賞したことで世の中の話題になりました。当時、私は中学一年でしたが「ビルマの竪琴」は良く知らず、「埴生の宿」の歌がラジオに流れ、学校の音楽の時間に取り上げられよく口ずさんだという記憶があります。

 

翌日の2月15日に市川崑監督追悼企画としてフジテレビで放送した1985年の映画「ビルマの竪琴」(1956年のリメイク版)を見ました。

 

日本に帰る前の日、水島上等兵は僧侶の姿で捕虜収容所の柵近くに現れ、別れにやってきました。半信半疑の戦友達ではあるが水島であることを信じ、日本に連れて帰ろうと捕虜収容所内の鉄条網のところで「埴生の宿」を歌います。そしてそれに水島は竪琴で応え、水島であることを知らせます。

 

戦友達は一緒に日本へ帰ろうと必死に叫びますが水島は「仰げば尊し」を引き、「ビルマで死んでいった無名の兵士を弔うために」悲痛の思いで帰国を断念し、再び戦友達に背を向け森に戻って行くのでした。

 

水島の心中を思い、埴生の宿を聞きながら涙がでてとまりませんでした。ほんとうに感動した映画でした。