中国の古来から伝わる戦略で世界覇権奪取を目指す100年マラソン

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2015年9月7日「China2049」(秘密裏に遂行される世界覇権100年戦略)という本を出版した著者のマイケル・ピルズベリーは「中国が野望を隠しながら着々と100年計画を進めており、このまま放置すれば中国人民共和国設立100年目の2049年までにはアメリカに代わって中国が覇権を握り、中国の価値観が世界を支配してしまう」と警告しています。

 

米ソ冷戦時代の1960年後半、アメリカはソ連と不和になり、衝突事件を起こしていた中国から「協力してソ連へ対抗しよう」という提案を受けました。そして、国防設備・経済共に脆弱だった中国はソ連からの攻撃を恐れており、レーダーなどの軍事技術・経済援助を要請して来ました。

 

マイケル・ピルズベリーは米中共同宣言締結前、キッシンジャーの指示で情報収集分析始め、中国側と情報交換や議論を重ねました。政府や国内では朝鮮戦争で突然参戦し、アメリカに多大な犠牲者を出させた中国と協力することに反対意見がありました。しかし、援助することにより、国民の生活が豊かになればアメリカの価値観が理解され、やがて、民主化に移行していくだろうと考え、中国に協力することを勧めました。

 

そして、1972年2月21日、ニクソン大統領・キッシンジャー補佐官と毛沢東国家主席周恩来首相が米中関係正常化のため会談が始まり、27日、米中共同声明を発表し、世界を驚かせました。朝鮮戦争以来22年間敵対関係にあるアメリカが日本の頭越しで米中関係を正常化したことは敵国政策維持の中国に対し政経分離で対応していた佐藤内閣に痛烈な打撃を与えました。

 

中共同宣言締結5カ月後、1972年7月5日に成立した田中角栄内閣は国交正常化に向けて会談を始め、9月29日、日中共同声明を調印し、アメリカに先駆けて国交回復を果たしました。しかし、中ソ友好同盟相互援助条約(1950年4月11日~1979年4月10日の有効期間30年)を更新せず破棄するという中国の方針が決定するまで、この条約の「日本を仮想敵国とした日本条項」が災いして、日中友好条約が1978年8月まで締結が遅れたと言われています。

 

日中友好条約批准と鄧小平副首相の来日
マイケル・ピルズベリーは1972年から2014年までパンダハガー(パンダをハグする人、親中派)と呼ばれ、アメリカ政府の情報機関や防衛政策の担当、中国研究者として、アメリカ政府に情報を提供し、アドバイスしてきました。しかし、これはとんでもない間違いだったと告白しました。

 

中国はソ連から政治、軍事技術援助を受けていたが、当初からソ連を信頼せず、不和になるとアメリカに接近してきました。しかし、アメリカを信頼したわけでなく、あくまで長期目標を達成するための戦略だったのです。

 

これまで中国の嘘を見抜けなく、中国が国際的に避難される事件をたびたび起こしても、民主化に移行していく段階での一部のタカ派によるものだと思わされ、いずれ、ハト派が主流になると信じ、政府に支援続行を呼びかけて来ました。その結果、アメリカは軍事技術や装備やサービスのノウハウの提供は秘密裏で行うというおまけまで付けさせられて、40年以上に渡り、軍事だけでなく、中国の各分野の研究者との交流、数万人の留学生を受け入れ、高度な専門分野の教育・知識まで与えてしまったということです。

 

マイケル・ピルズベリーはパンダハガーとして50年間幾度と中国に渡り、中国のシンクタンク、教授、軍当局者、政府職員と接触し、政府役人や軍人と議論できる特別待遇を受けてきましたが、「敵の助言者をうまく利用する」や「敵の自己満足を引き出して、警戒態勢をとらせない」という戦略に乗せられていたと振り返っています。

 

当初、ソ連と冷戦状態にあったアメリカに政府要人や軍関係者いわゆる中国のタカ派は「中国は経済・軍事・科学技術など脆弱であり、援助してもらえれば、国の基盤が安定し、ソ連に対する抑止力がより強固になる」とアメリカを懐柔してし、「やがて民主的な平和な国になる、大国となっても地域支配ましてやアメリカに代わり世界の覇権を取ろうなどとは思わない」と信じこませてきました。

 

これこそが「勢」という戦略のひとつだったのです。「勢」とは「敵が従わずにいられないような状況を作りだし、敵を動かし、これに打ち勝つための神秘的な力である」であり、「他国と連合して敵を動かして敵を包囲すると同時に敵の連合を弱め包囲されないようにすることも含む」と言います。
(日本の「勢(孫子)」の解釈と異なる?)

 

アメリカは通常レベルといえどもかなり高度な軍事・科学技術を提供しましたが、提供を拒んだ多くの高度な技術までも盗まれてしまいました。これも孫子の兵法や毛沢東の考え方を受け継ぐ「戦略目的達成のためには敵の技術や考え方を盗む」という戦略でした。

 

中国の指導者は「他の国はすべて中国を騙そうとしており、包囲しようとしている」と信じているところから、中国は「敵による包囲を避け、騙されないように警戒し、敵を騙して有利にしなければならない」という戦略が平常時でも常に頭にあると言います。実際、毛沢東(参考2)は1957年反右派闘争の際、右派を選別するためいったん思想開放を表明してさまざまな意見を誘い出しておいて、右派を一網打尽にしましたが毛沢東はこれを陰謀ならぬ陽謀と名付けています。

 

最近の例をとっても、尖閣諸島の領有権、南沙諸島の埋め立て・軍事基地建設、インドネシア高速鉄道入札、アメリカへのサイバー攻撃等、中国の政府官僚、軍の将官、企業幹部は国際ルール無視や道徳欠如の行為をしています。

 

2013年6月18日のWebニュース「人民網日本語版」の記事も聞捨てなりません。日本が敗戦後の廃墟からわずか30数年間で世界2位の経済国になった一つの重要な原因は、他国の経済・科学技術情報を日本の産業スパイが収集し、吸収し続けたからだと言い、次のターゲットは新興国だと伝えていることです。

 

欧米や日本の考え方や価値観にあまりにも違い、罪悪感を持って無いことに疑問に思っていましたがChina2049を読んで分かりました。それは通常時においても模範となる国を含め、他国を敵と見なしており、敵に対し有利に立つためには戦略が高潔であるかどうかは二の次であり、盗み、騙すことは当然という社会になっているからだと思いました。

 

日本の場合は明治維新直後、西欧に追いつくため、政府は首相の給料の数倍に当たる手当を払い、三顧の礼を持って招聘した御雇い外国人から法学、建築、産業、文芸、教育、理科、医学、宗教などあらゆる分野に渡り、教えを乞い、近代化を成し遂げました。優れたものを手に入れるためには正当な対価を払うか、能力を高め、創製するという姿勢は現在の日本人に根付いています。

 

第二次大戦後、アメリカは疲弊した日本の復興と民主化のため、経済援助や政治・経済・産業技術・教育分野を支援してくれました。日本が特に重要視したのは民主主義に基づく制度・考え方や基本的な管理技術です。援助を受けたことに感謝は忘れてなく、恩返しとして今度は日本が新興国後進国へと韓国・中国・東南アジア、アフリカに経済・技術援助を行って来ています。

 

山崎豊子1984年~86年中国へ「大地の子」執筆取材に行きハト派胡耀邦総書記と3回会見しています。1995年、中国政府の認可を受け、NHKと中国中央電視台が共同でドラマ「大地の子」を製作しました。日本でテレビ放送が始まるやいなや視聴率は急増、感動を呼び、これぞ日中友好の懸け橋と期待されました。しかし、執筆中の1987年、権力闘争で胡耀邦は失脚し、1989年天安門事件起こり、後任の趙紫陽総書記も失脚してしまい、民主化は遠のき、2015年の現在も中国では放送されていません。

 

日本の平和路線を認め経済援助を感謝した胡錦濤国家主席

yaseta.hateblo.jp

インド・韓国・中国製鉄メーカーの躍進

yaseta.hateblo.jp

日本は技術・ノウハウを盗んで発展したなどと中国以外の国々は誰一人として思っていません。土台となる理念が違うと判断基準も違い、他国に対し信頼感を湧かず、国際ルールも理不尽に思えたり、他国も自国と同様に盗んで入手したと信じてしまうことになります。

 

アメリカ政府は中国の世界覇権奪取100年マラソンの戦略の本質を認め、中国の戦国時代の考え方を学び、対中戦略を変えることにより覇権奪取を阻止し、打ち負かすことができると著者マイケル・ピルズベリーは結んでいます。

 

【参考】
1.「China2049」(秘密裡に遂行される世界覇権100年戦略)、マイケル・ピルズベリー、日経BP社、2015.9.7
2.「中国株式市場の真実」(政府・金融機関・上場企業による闇の構造)、張志雄、ダイアモンド社
3.「山崎豊子が合った300人の大地の子」、元秘書 野上孝子、文藝春秋、2015.10