この2部作のハリウッド映画は1960年代、荒野の用心棒やダーティ・ハリーで人気を博したスター「クリント・イーストウッド」が監督した映画でした。
1945年、米軍と日本軍が硫黄島で激戦を繰り広げ、米兵6000人が戦死し、日本兵2万100人のうち生き残ったのは200人という悲惨な結果をもたらしましたが、2つの映画は同じ硫黄島の激戦をテーマにした作品です。
まだ、映画を見たわけでなく、予告編を見ただけなので、正確性に欠けるかもしれませんが2つの映画の一口概要を記述してみます。
この夏、実家に帰ったとき、土蔵から昔の本3冊ほど持ってきた中に、1933年(昭和8年)新年号の「少年倶楽部」がありました。
(少年倶楽部は小学高学年から中学生向けの雑誌で、戦後、少年クラブとなり、私も読んでいました。)
その「少年倶楽部」の2月特大号の予告の中に当時、福岡県久留米市に建つ、「爆弾三勇士の銅像」の組み立て用の模型(ボール紙製と思われる)が付録としてつき、その完成模型の絵が載っており、「みんなでこの模型を机に飾って、三勇士の壮烈な戦死を思い、尊い記念としましょう」と載っていました。
1932年に上海事件が起こり、そのとき、中国軍の鉄条網を一挙に破壊し突破口を作るため、3人の兵隊が火薬をつめた破壊筒を持って自爆し、勝利に導いたとして新聞で大々的に報道し、軍事美談として国中が沸いたそうです。