軍事美談に隠されてしまった戦争の「残酷さ」と「悲惨さ」

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つい先日、テレビでハリウッド映画「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」の宣伝と予告編をやっておりました。

 

父親たちの星条旗」はアメリカ側の視点に立って描いた作品であり、「硫黄島からの手紙」は日本側の視点で描いた作品で、これらは2部作として製作されたそうです。

 

2つの作品が大きな話題になっておりましたが、私が知ったのはこの宣伝を見たつい数日前で、「父親たちの星条旗」は日本でも現在、上映中で、「硫黄島からの手紙」は12月9日に封切りされることを知りました。

 

この2部作のハリウッド映画は1960年代、荒野の用心棒やダーティ・ハリーで人気を博したスター「クリント・イーストウッド」が監督した映画でした。

 

1945年、米軍と日本軍が硫黄島で激戦を繰り広げ、米兵6000人が戦死し、日本兵2万100人のうち生き残ったのは200人という悲惨な結果をもたらしましたが、2つの映画は同じ硫黄島の激戦をテーマにした作品です。

 

まだ、映画を見たわけでなく、予告編を見ただけなので、正確性に欠けるかもしれませんが2つの映画の一口概要を記述してみます。

 

父親たちの星条旗」はあの有名な摺鉢山に星条旗を掲げる米兵たちの写真を軍部は戦費集めのため生還した3人を英雄したて利用しますが、3人はそのため、人生を翻弄されることになった作品のようです。

 

硫黄島からの手紙」は硫黄島の戦いの指揮官の栗林中将が妻に書き送った手紙や1932年オリンピックロスアンゼルス大会で金メダルをとった西中佐たちが玉砕していく心の葛藤を描いた作品のようです。

 

この夏、実家に帰ったとき、土蔵から昔の本3冊ほど持ってきた中に、1933年(昭和8年)新年号の「少年倶楽部」がありました。

 

少年倶楽部は小学高学年から中学生向けの雑誌で、戦後、少年クラブとなり、私も読んでいました。)

 

その「少年倶楽部」の2月特大号の予告の中に当時、福岡県久留米市に建つ、「爆弾三勇士の銅像」の組み立て用の模型(ボール紙製と思われる)が付録としてつき、その完成模型の絵が載っており、「みんなでこの模型を机に飾って、三勇士の壮烈な戦死を思い、尊い記念としましょう」と載っていました。

 

1932年に上海事件が起こり、そのとき、中国軍の鉄条網を一挙に破壊し突破口を作るため、3人の兵隊が火薬をつめた破壊筒を持って自爆し、勝利に導いたとして新聞で大々的に報道し、軍事美談として国中が沸いたそうです。

 

「爆弾三勇士」や「摺鉢山に星条旗を掲げる米兵」のように兵隊の行為を誇大化したり、真実を捻じ曲げたりして、アメリカも日本も軍部の戦争高揚の宣伝に使われてしまい、戦争の悲惨で無残な面が隠されてしまいました。