謎のミャンマーの首都移転と軍事政権を支援する中国

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私の中学時代の1950年後半、現在のミャンマーは国名がビルマで首都はラングーンと習いましたが、天然ガス争奪戦で話題になる最近までミャンマーについてあまり注目したことはありませんでした。

中・印・タイ・韓によるミャンマー天然ガス争奪戦とミャンマーの地図

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その昔、ビルマは微笑みの国といわれ、首都ラングーンの町並みはオリエントの真珠ともいわれましたが、ビルマミャンマーに、首都ラングーンはヤンゴンに改称され、さら首都ヤンゴンは北約300kmのネピドーという小都市に移転していました。

過去に起こったビルマに関する事件を辿っていき、つなぎあわせると少し分かってきました。

1948年から1974年まではビルマ連邦、1974年から1988年まではビルマ連邦社会主義共和国と国の体制と国名を改称しました。

1983年10月9日、韓国の全斗煥大統領がビルマ建国の父が眠る「アウン・サン廟」へ献花に訪れた時、北朝鮮工作員による暗殺未遂事件(爆弾テロで韓国側は副首相や外務部長官ら閣僚4名を含む17名、ビルマ側は4名が爆死し、負傷者は47名に及んだ。全斗煥大統領は到着が送れ無事。)が発生しました。

1988年、全国的な民主化要求デモにより26年間続いた社会主義政権が崩壊したが、国軍がデモを鎮圧するとともに政権を掌握しました。

1989年6月18日に軍事政権を成立させ、ミャンマー連邦(ユニオン・オブ・ミャンマーUnion of Myanmar)、通称ミャンマー(Myanmar)と改めました。

1990年に総選挙が実施され、アウンサン・スーチー女史率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝したものの、軍事政権は政権移譲を行わず、スーチー女史に自宅軟禁状態にし、そのまま政権をとって、国際的批判を浴びています。

軍事政権は言論の弾圧や人権侵害を行っており、国際的に非難を浴び、2003年5月のスー・チー女史拘束を受けて、米国が制裁法を制定し、経済制裁を行っています。

2004年10月には、EUミャンマー民主化状況に進展が見られないとして、ミャンマー国営企業への借款の禁止等を含む制裁措置の強化を決定しました。日本も人道的支援以外の経済協力を停止しています。

それに対し、インドや中国は内政干渉せず、特に中国の国有企業は資源開発、港湾、都市建設に進出してきています。

ヤンゴンのティラワ港は中国企業が買収したという噂やそこに近接する経済特区建設計画に中国企業の上海金橋が乗り出しているという情報が流れています。

遅れを取ったインドが軍事政権に近づき、巻き返しを行っているそうです。

また、軍事政権は2006年4月に北朝鮮と国交回復し、武器、食料、天然ガスなどの貿易を図ろうとしています。

そして、突如として2005年11月7日、軍事政権は首都機能をヤンゴンから北約300kmの小都市ピンマナに移転する旨発表し、2006年3月頃までに行政機関を移転し、ネイピドウと改名されました。

なぜ、風光明媚で、植民地時代の建物、歴史的建物がある良いヤンゴンを捨て、300キロ離れた内陸に首都を移転させたのかミャンマー国民も分からず、さまざまな憶測が流れ飛んでいるそうです。

そして国際的批判を浴び、制裁を受けている軍事政権や国に、国益のためなら信念を曲げ支援している中国、インドに対し、海外の民主化支援団体などから非難の声が上がっていますが気にしていないようです。