新日鉄の技術協力でできた韓国浦項製鉄所

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今日(5月27日)の読売新聞に世界最大の鉄鋼会社ミッタールスチール(オランダ)の世界第2位アルセロールの買収工作に対し、アセロールが阻止するため世界12位のロシアの鉄鋼会社セベルスタリと経営統合の合意なされ、世界最大の鉄鋼会社が誕生することにより、買収成立の抑止効果になるという記事が載っていました。

5月9日の読売新聞の連載記事「時代の証言者」には新日鉄会長「今井敬」氏の最終回の22回の手記が載っていました。内容の一部を紹介します。

終戦直後の鉄鋼業界は、アメリカからの技術移転で立ち直りました。アメリカは非常に寛大に製鉄技術を日本企業に伝達してくれました。

新日鉄の会長を務めた永野重雄さんも稲山嘉寛さんも、「常々、戦後の日本の鉄鋼があるのはアメリカのおかげだ」といってました。

それならば、我々も後につづく国々に協力しようと、60年代はブラジル、70年代は韓国へと無償で技術を伝えました。
韓国は朴正熙(パクチョンヒ)大統領の夜間外出禁止令が出ている頃で、私は机を並べてあちらの担当の方に原料の調達方法などを教えました。

1978年には鄧小平副首相が新日鉄の君津製鉄所を見学にきて、これと同じものを中国に作ってくれといわれ、上海に宝山製鉄所をつくりました。

アメリカやタイにも自動車用薄板の工場をつくりました。すべて、当時の最先端技術をつたえました。今では一部は、有力なライバルです。

外国企業は日本の持つ技術を何とか獲得しようとしていますが、私たちも必死で日本の技術を守っています。企業買収を仕掛けられた場合、新日鉄住友金属神戸製鋼所の三社が共同で防衛に当たることを決めました。という内容でした。

そこで下記の最近の粗鋼生産量の企業ランキングの4位と6位を見てください。

世界の粗鋼生産量ランキング(2005年)読売新聞(メタル・ブレティン調べ)(単位万トン)
1. ミッタール・スチール(オランダ) 4989
2. アルセロールルクセンブルグ)  4665
3. 新日本製鉄(日本)        3291
4. ポスコ(韓国)          3142
5. JFEスチール(日本)      2957
6. 上海宝鋼集団(中国)       2273
7. USスチール(アメリカ)     1926
8. ニューコアアメリカ)      1845
9. コーラス(イギリス)       1818
10. リバ(イタリア)        1753
11. ティッセン・クルップ(ドイツ) 1655
12. セベルスタリ(ロシア)     1516

6位の上海宝鋼集団は1978年に鄧小平副首相頼まれ、日本の経済援助と新日鉄の技術支援でできた上海の宝山製鉄所です。

yaseta.hateblo.jp

4位の韓国のポスコこそ1970年に日本の経済援助と新日鉄が技術支援をした浦項製鉄所です。

浦項製鉄所はじめ、石油化学、自動車、家電製品、紡績、電子など韓国における産業の半分以上は、1965年の国交正常化時に締結された「日韓経済協力協定」に基づいて、日本政府が韓国に対して行った経済援助と企業の技術支援(人件費が安いための工場移転も含め)によるものです。

ただ、1961年(昭和36年)朴正熙が反共強化をスローガンのもと軍事クーデターを起こし、軍事独裁政権の大統領になりましたが、1965年ごろは韓国は日本との国交正常化反対、日本の経済侵略反対など学生中心の激しいデモがありました。

1972年に日本の明治維新に習い維新憲法を作り、早急な経済基盤を作ろうと日本の経済援助を得るために独裁的に推し進め、民主化運動を弾圧しました。高度成長はしましたが貧富の格差が現われ、国民の支持は失い、1979年10月腹心の部下に射殺されました。

経済成長政策が「漢江(ハンガン)の奇跡」といわれた経済成長の原点とも言われ、一部では今も、評価されています。

1979年に全斗換がまたも軍事クーデターで大統領につきますが軍部の独裁を恐れた韓国民は反発し、民主化運動がいたるところでおこりますが弾圧され、多数虐殺されたと言われています。この責任を負い、1987年に退き、国民投票で選ばれた盧泰愚に大統領の座を明け渡しました。

政治の混乱はありましたが、経済は確実に成長していき、1981年に1989年ソウルオリンピックの誘致に成功しています。

韓国民は日本からの経済支援や技術支援が独裁者を支援したと受け取っているのだろうか、日本からの経済支援や技術支援があったことは政府や当時の関係者は、国民に話してないようで、韓国国民は韓国独自の技術で高度成長を成し遂げたと思っているようです。

1987年以降はようやく民主化がなされ、国の治安も経済も安定してきて、文化面も成長してきたと思ったら、日本たたきが始まりました。

いまの政府は民主化運動と国交正常化反対を自らやってきた人が要職についているから日本たたきをやめて欲しいと言っても難しいのかもしれません。いつまで待てば良いでしょうか。

マンガはI社所内報1979年11月号に投稿したものです。1979年の10月に朴正熙大統領が直属の部下に殺された場面の絵でシーザーの暗殺をもじったものです。