サウジ政府高官の息子の研修

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4月5日から3日間、サウジアラビアのスルタン・ビン・アブドゥルアジーズ皇太子(70歳)が日本国交樹立50周年記念行事の一環として来日しています。

サウジアラビアは政治的にも安定しており、イスラム国でありながら、欧米や日本の経済や社会システムの良いところを採用して、現在、安い原料を武器に石油、石油化学で急速に伸びており、また外国投資をする巨大な会社も登場しています。

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石油依存の産業を転換する国家戦略の協力として1975年頃から日本は石油の精製および下流部門の石油化学面で技術研修や合弁事業の協力していますが、9.11以来、親欧米政策に距離をおき、日本とさらに近づき、他の分野の合弁事業、人材開発、環境、文化、スポーツなどで良好な関係を築こうという狙いがあるようです。

1975年(昭和50年)、産油国が自国の石油・石油化学産業に力をつけようと対策を始めていた頃の話です。

当時、サウジアラビアのヤマニ石油相はOPECのリーダーとして活躍していました。
その参謀役とも言われた石油資源省経済局長の息子がI社製油所および工場に研修にくるので、当時、私が所属していた工場電子計算室技術グループに研修期間全2ヶ月のうち工場分1ヶ月間コンピューターの研修をするように依頼されました。

彼は1957年(昭和32年)生まれの当時17歳で、メッカの中学校、オーストリアのウイーン高校卒業後、ダーラン大学石油化学及びコンピューター科学専攻科に入った2年生でした。

我々、受入れ側3人は初めての体験であり、息子はVIPの子供で英語、ドイツ語、フランス語を話し、コンピュータの基礎も一通り勉強しており、FORTRANも使えるということで、準備はしたものの、会うまでは落ち着きませんでした。

実際、会ってみると日本の普通の大学生とは変わらず、数値計算、蒸留、熱伝熱、ORの基礎計算などの研修をこなし、休みの日は海水浴や寮祭に一緒に参加して楽しみました。

彼は写真を見せてくれましたが、サウジの王宮のような豪邸に住んで、大勢の使用人を抱えて生活しているようでした。
彼はまだ、子供でもあり、贅沢な生活をしているせいか、気を使うということを知らなく、わがままで、振り回されたました。

何とか研修を終え、さよならパーティを開き、その後の様子を知らせると言って別れましたが、その後、連絡はありませんでした。

あれから31年間、彼は現在、49歳で、きっと政府の重要ポストに着き活躍していることでしょう。