アメリカのパンフレットにある真珠湾攻撃について

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3月5日(日)(ハワイ時間3月4日(土))、アイランドツアーで真珠湾アメリカ海軍基地見学者センターの博物館で旧日本軍の真珠湾攻撃に関する展示物を見ましたが、3分の1見たところで時間切れで、日本語のパンフレット1つと英文の資料1つを持ち帰るだけとなり、非常に残念でした。

日本では連合艦隊司令官山本五十六は有名ですが、真珠湾攻撃司令官南雲中将はあまり知られておりません。

南雲中将は山形県米沢市の出身で米沢興譲館中学(現在の米沢興譲館高校)を出ていると、私が米沢興譲館高校在学中に、先生や親から聞き知っていましたので、南雲中将は真珠湾の博物館ではどのように評価されているのか興味がありました。
見学は時間切れでよくわかりませんでした。

(元会社で同僚だった東京出身の南雲さんに米沢や南雲中将と関係あるか聞いたことがありました。結果、米沢に遠い親戚はありますが南雲中将とは関係ないということでした。)

せっかく、真珠湾まで行ったので、勉強も兼ね、海軍基地見学者センターのパンフレットにある真珠湾攻撃についてまとめてみました。

まず、1941年12月7日(日本時間:昭和16年12月8日)、旧日本海軍真珠湾攻撃アメリカは「不名誉の日」と位置づけていました。
しかし、それまで、第二次大戦に参戦するか否かで意見が真二つに分かれていたのを「リメンバー・パールハーバー」(真珠湾を忘れるな)をスローガンにして、参戦に一本化され団結したことがより重要であったと述べていました。

やられたけれど、最終的には日本および枢軸国を打倒し、アメリカは勝利した。そして日本を戦艦ミズーリ号上で降伏文書に調印させ、アメリカは名誉を回復したとういうような内容でした。

現在、この真珠湾に日本軍の真珠湾攻撃により戦死した人々の哀悼の意を表してアリゾナ記念館を戦艦アリゾナが沈んだ海上に建て、そして、退役した戦艦ミズーリをその近くに停泊させ記念艦とし、甲板の日本降伏文書調印式会場跡を公開しているということです。

いつか、またハワイに行くときはじっくりと博物館やアリゾナ記念館を見学したいと思います。