

西暦2025年10月
【陰暦の今月:閏年のため八月葉月 [通常の年は九月長月]
(2025年は閏年に当り六月に続き閏六月が挿入され十三か月(383日)の年です)
季節 : 第十七節気・寒露
西暦10月前半 : 10月8日~10月22日 仲秋
陰暦九月節 : 八月十七日~九月二日 晩秋
虫の音も次第に盛りを過ぎ、野歩きの足元を濡らすのは露時雨。
その露が冷たく感じられるころ。
芋、栗、柿など秋の実りを迎え、収穫を祝う祭りの季節になる。
【季節 : 第十八節気・霜降】
西暦10月後半 : 10月23日~11月6日 仲秋
陰暦九月中 : 九月三日~九月十七日 晩秋
朝夕の冷え込みが増し、山里では初めて霜が降りるころ。
紅葉も見頃を迎え、時おり降る時雨が木の葉を鮮やかに染める。
秋の最後の季節となる。
【尾花】
花すすき 草のたもとの 露けさを すてて暮れゆく 秋のつれなさ
【現代語訳】
現代語訳
すすきの生えている草むらの根本に宿る露の、しっとりとした風情を捨てて、秋が終わってゆくのは、なんとも薄情なことだ。
【語意】
[尾花(おばな)] : すすきの穂のこと。
[草のたもと] : 草の根元、草むらの裾。
[露けさ] : 露がしっとりと置いている風情。ここでは、秋の風情を指しています。
[すてて暮れゆく] : 捨てて、秋が終わりゆくこと。「すてて」は見捨てて去っていくという、擬人化された感情が込められています。
[秋のつれなさ] : 秋という季節が、風情を捨てて去っていく薄情な様子。
【追記】
秋の情緒を象徴するすすきの穂や、その根元に置く露が、秋が深まるにつれて失われていく様子を、「秋」がそれらを「捨てて」去っていく「つれなさ(薄情さ)」として捉えています。
美しい風情が消えていくことへの寂しさや、時間の移り変わりに対する切なさを感じさせるとともに、季節の移ろいをまるで人間関係のように表現しています。
【鶉(うづら)】
人目さへ いとど深草 枯れぬとや 冬待つ霜に 鶉なくらん
【現代語訳】
人目までも避けるように、深草がすっかり枯れてしまったからだろうか。冬を待つ霜の降りる頃に、鶉が鳴いていることだよ。
【語意】
[人目さへ] : 「さえ」は〜までも。人目までも。
[いとど] : ますます、いっそう。
[深草(ふかくさ)] : 京都の地名。また、草が深く生い茂っている場所を指す言葉としても使われます。ここでは掛詞として用いられています。
[枯れぬとや] : 枯れてしまったのだろうか。
[冬待つ霜] : 冬が来るのを待つように降りる霜。初霜のこと。
[鶉(うずら)] : ウズラ科の鳥。晩秋から初冬にかけて鳴くことで知られます。
[なくらん] : 鳴いていることよ、鳴いているのだろうか。
【追記】
「深草」は、京都の地名と、深く生い茂った草むらをかけた掛詞(かけことば)です。
鶉は古来、物思いに沈む象徴として詠まれることが多く、晩秋から初冬への移ろいの情景の中、孤独と哀愁を鶉の鳴き声に重ねています。