古代史の超概略その2「大和政権を支えた氏姓制度と政権争いの始まり」

【大和政権の執権職の大臣(おおおみ)・大連(おおむらじ)の設置】
古墳時代の4世紀中頃に大和政権が誕生し、大王(おおきみ、天皇)を補佐して政治を担う最上位に大臣(おおおみ)と大連(おおむらじ)の職が置かれました。その地位には天皇が政治的、職務的に優れた氏族に与えた称号の中で姓(かばね)、臣(おみ)と連(むらじ)を持つ氏族の最有力者が就きます。

臣(おみ)と連(むらじ)を持つ氏族の職分に違いがありました。
連(むらじ)の姓(かばね)は特定の職務をもって奉仕する集団で、連の氏族は宮廷(朝廷)に付属し、大王(天皇)に隷属的に強く結びついていました。軍事氏族で有力者の大伴氏と物部氏は大和政権の中枢部の大連に就きますが、連姓氏族の職掌から天皇家との婚姻関係を結ぶことはほとんどありませんでした。

一方、臣(おみ)の姓の氏族は古くさかのぼれば天皇家の血をひく氏族でした。大臣(おおおみ)の臣姓氏族の中には葛城氏や蘇我氏のように天皇家と婚姻関係を結ぶ者が現れてきます。

連姓氏族と臣姓氏族の関係が悪くなっていくのは単に勢力争いのためだけでなく、このように天皇家に近い氏族か、天皇家に従属的に仕える氏族かの違いがあるからでした。

5世紀中期、葛城円(かつらぎのつぶら)が大和政権の大臣(おおおみ)に就いていましたが大連(おおむらじ)の職が置かれていたか不明なようです。

5世紀後期、平群真鳥(へぐりのまとり)が大臣に就いた時、軍事氏族の権力者の大伴室屋(おおとものむろや)・物部目(もののべのめ)の両氏が初めて大連に任じられたのが始まりとされ、以後、大臣とともに大連も置かれるようになりました。

25代武烈天皇(約498~506年)時代、巨勢男人(こせのおひと)が大臣に、大伴金村(おおとものかねむら)と物部麁鹿火(あらかい)が大連に任命されます。

25代武烈天皇崩御しましたが、跡継ぎがいなかったため、当時最大実力者の大伴金村らによって越前の国から応神天皇五世の孫の男大迹(おおど)王が迎い入れられて、506年に26代継体天皇として即位しました。そして、大村金村、物部麁鹿火(もののべのあらかい)がそのまま大連に就き、蘇我稲目(そがのいなめ)が大臣に任命されます。特に、継体天皇擁立に功があった大村金村は権勢を振るうようになりました。

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【筑紫の国造(くにのみやっこ)磐井の乱
継体期の527年、新羅に奪われた朝鮮任那の南加羅地域を奪還するため近江毛野(おうみのけな)率いる大和朝廷軍は途中、筑紫国に入りました。新羅と通交のあった当時の筑紫(北九州市を除いた福岡県)の国造(くにのみやっこ)の磐井は既得権を守るため大和朝廷軍の妨害を企て挙兵しました。
磐井軍は九州北部(肥前国肥後国豊前国豊後国)を制圧し、倭国朝鮮半島とを結ぶ海路を封鎖し朝廷軍の進軍を阻みました。

大和朝廷は反逆者討伐軍の将軍に大連の物部大連麁鹿火(もののべのあらかい)を任命し、麁鹿火は継体天皇から筑紫以西の統治を委任をまかされました。528年磐井軍と麁鹿火軍は、筑紫三井郡(福岡県小郡市三井郡付近)にて交戦し、激しい戦闘の末、磐井軍は壊滅しました。

529年大和朝廷倭国)は再び、近江毛野(おうみのけな)を任那の安羅へ派遣し、新羅との領土交渉を行わせてたといいます。物部麁鹿火は筑紫以西の統治委任されたこと、磐井の乱を鎮圧したことにより、物部氏は権勢を強めていきます。

【辛亥の変】
531年に26代継体天皇(507~531)が急死しますが、『日本書紀』では継体25年(531年)、別伝承では継体28年(538年)となっていますが、『百済本紀』に「531年、日本の天皇及び太子・皇子、倶に崩薨(ほうこう)す」と記述されています。
百済本紀の天皇・太子・皇子が揃って亡くなるという尋常でない事態の記述は謎めいたものとされています。

継体の死後、次の安閑天皇が即位するまで3年間の空白があること、継体の崩御の翌年に欽明天皇が即位したと見ることもでき、このことから継体天皇の後、欽明天皇が即位し、これに対し、安閑天皇も即位し、2朝並立した時代があり、その後、欽明朝によって統一されたという見解もあるそうです。
そのため、26代継体天皇崩御については謎が多く、事件性を暗示させる「辛亥(しんがい、531年)の変」と呼ばれています。

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26代継体天皇以前の天皇の中には、実在していたかどうか多くの説があるようですが、継体天皇以後の天皇は実在が確実であるされています。(参考8)
しかし、継体天皇崩御の原因などに不明確なことが多く、日本書紀などにある安閑、宣化天皇の在位期間ははっきりしないようです。
27代安閑(531~535、4年間)
28代宣化(535~539、4年間)、
29第欽明(539~571、32年間)

26代継体天皇以後から天皇は確実に実在することを考えると、29代欽明天皇即位までの期間に不明確さは残りますが、「古代史の超概略その1」に述べた「歴史は多少なりとも継続的な、はっきりした物語を前提とする」というサムエル・モリソンの定義に当てはめると、一般教養としての理解するための「日本史」の勉強は507年の26代継体天皇即位から開始しても良いのではないかと思いました。

【参考】
1.「明日への日本歴史 1 古代国家と中世社会」、五味文彦山川出版社、2023
2.「入門 日本書紀 事典」、瀧音能之 監修、東京堂出版、2021
3.「日本の歴史 1 神話から歴史へ」、井上光貞中央公論社、1965
4.「日本の歴史 2 古代国家の成立」、直木孝次郎、中央公論社、1965
5.「最新古代史論"まほろばの国"ヤマトのあけぼの」、小池徹郎編集、

       (株)学習研究社、2009.4.15
6.「日本の古代史」、創刊人 蓮見清一、(株)宝島社、2014.1.13
7.   「大化の改新」、遠山美都男、中公新書中央公論社、1993.2.25
8.「古代史を知る事典」、武光 誠、東京堂出版、1996.5.30